2011/12/31
この場をかりて、つぶやきにコメントいただいた皆さん、本当に暖かい言葉と応援をいただきありがとうございました!
無事にカテを終了して帰宅。
今はいつものようににぎやかで慌しい日々をおくっています。
今回のカテ、本当に成功してよかったです。
病院で待っている間は僕も、奥さんも心配と不安があり、始めは無言。
だけど、そんな事を考えていても苦しいので、長女の事やこのかのこれからの事を一緒に話してました。
なんかその方がお互い落ち着きます。
そうこうしているうちに、ぼくがトイレ行って戻ってくると奥さんがすこぶる笑顔!!
〝今連絡があって、無事に終わったよ~っ!〟
二人とも強ばっていた顔が一気にほころび一緒に喜びました。
すぐに担当医からの説明があり、今回のカテの経緯や血管、心臓、肺の血圧など慎重にかつ丁寧に説明してもらえました。
そして、グレンも受けて大丈夫との言葉もあり、〝いよいよかぁ~〟と次のステップへの期待、その半面不安も出てきますがそんなことより今は無事に終わったのでホットしました。
その時に、前回のことでの〝病院側の公的文章〟もかなり前向きなかたちで書いていただき、その件に関しては二人とも納得しました。
お願いした内容の一番は〝すべての患者やその親に対して安心して治療や手術が受けられるインフォームドコンセントの充実化〟です。
循環器からになると思いますが、それに対しては病院側も変えていくと約束してもらえました。
その他にもここで詳しくは書けませんが沢山話をしました。
前回の外来、今回、色々ぶつけたり噛み付いたなかで、某医師がいった一言が印象に残っています。
〝今回のことがないと病院もぼくらも変らない。〟
退院の日に今後の予定が決まったのでお知らせしますね!
1月半ばに外科の外来がありその時にお話があるようです。
それから1月25日にグレンを行います。
ですが、少し心配ごとが~っ。
今回のカテで異常が見つかり、ひょっとするとグレンと平行してもう一つやらなくてはいけなくなるかも知れないと言われました 涙。
それは、これから外科と相談をして決めるそうです。
それから乳びです 涙。
グレン後にまた乳びになりやすいかもと~。
そしたらまた入院が長くなるなぁ。
詳しいことが決まったらまた報告します。
そうそう、今日は大晦日ですね!
皆さん、よいお年をお迎えください。
全ての心疾患のお子さんやそのご両親の方々、それから難病と戦っているすべてのお子さんや両親の方々にとってよい年、そして希望の年でありますように。
心から応援しています。
来年も家族ともども、どうぞ宜しくお願いいたします。
以上が当時のmixiの日記です。
当時は日記に書く余裕と気持ちが無かったから、つぶやきやtwitterで上げてたんですよ。
前回のカテの件で病院側に改正とお願いは前向きに受け止めてもらいました。
このかのこれから先万が一、麻痺が起きた場合の病院の対応。
それから1番驚いたのが、インフォームドコンセントの在り方。
この後、年明けからガラッと変わりました。
それも前もって全ての患者さんに、これから変わりますよ!ってプリントが配られました。
もちろん、僕達にも。
本当にこれが1番嬉しかった〜。
僕も奥さんも、同じ思いを他の患者さんとそのご両親にさせたくないという思いがありました。だから凄い二人で喜んだのを覚えてます。
それから日記に、〝このような事がないと、病院も僕らも変わらない〟と言ってくれた医師の方が今のこのかの担当医です。
彼はカテが失敗した時に、泣きくずれている僕の奥さんを僕が到着するまで側にいて、言葉をかけ続けてくれた人です。
それからカテが失敗した時の話し合いの時に、このかの為に涙を流してくれた人です。
それから病院からの公的文書を受け取った時に一筆別に約束してくれた人です。
なかなかそこまでしてくれた医師は今まで居なかったので、前の担当医が転院された時に新しい担当医がそのY医師なったらいいのにね〜。って言っていたので、このかの担当医に決まった時は嬉しかった〜。
病院も出会い。ですが、担当医も出会いです。
あれから5年もY医師に診てもらってます。
もちろん、この人なら!と信頼してます。
いい病院に診てもらっても、いい担当医に巡り会わなければ意味がない。
そんな出会いに恵まれて感謝しています。
2011/12/01
このかが無事に退院してきてからは調子も戻り、ミルクの量も増えてきてよく笑顔を見せてくれます。
体重も4000gになりました!
この間の外来では、12月~1月でグレンをやりたいみたいです。その理由の1つに生後半年以内でグレンをやらないとチアノーゼがひどくなると担当医師に言われたと、うちの奥さんが言ってました。
今回のカテのことで感じることは、病院、医師とぼくら患者の親が思っていることはまったく違うところがあるということです。
良くも悪くもここに書こうと思います。
今回のカテは、太ももからの挿入が困難として、右内頸静脈からのカテーテル穿刺になりました。
カテーテル挿入の前にシースを挿入して確認をした際に異常がみられ、検査をしたところ、そのシースが血管にではなく、脊髄のくも膜下腔に入っていることが確認されたので、一時中断してシースはそのままでICUへ運ばれました。
その後、MRI,CTでの検査をして、シースが脊髄のどこまで入っているのかを確認して、脳神経外科の医師と相談を重ねたうえで、ようやくシース、ガイドワイヤーを抜去、圧迫止血を行い、無事に終了しました。
その後の4日間の間、ICUで、MRI、CTなどでの検査やこのかの症状などで、髄液の漏れ、出血などは確認できず問題はありませんでした。
それから麻痺ですが、脊髄を損傷している可能性が高いとして、担当医からは両腕が動かなくなる確立が高いと説明があり、これもICUで経過を見ていましたが、今のところは麻痺は認められないとして、ICUからハイケアに移り、経過をみて無事に退院することになりました。
担当医師からの説明は今回の〝内頸静脈でのシースの誤挿入〟は、まれに起きる『合併症』で1~11%の確立で起きているそうです。
それは解るのですが、これって『合併症』ですか?
と親としては感じるわけです。
しかも今は動いていますが、これからこのかが成長していく過程で麻痺も出てくるかもしれない。
担当医師からも〝まだ手や腕の動きも成長過程なので、成長と共に見ていかないと解らないので見させてください。今のところ麻痺がでるのか出ないのかは判断できないので。〟と言っていました。
親としてはとっても不安なんです。
先天性心疾患で産まれて来て、それだけでもこれから大変なのに、これからもうひとつ、〝麻痺〟という不安をこの子に背負わせるのは正直やり切れません。
そんなことがあり、今病院側とのやり取りがつづいています。
たくさんやり方がありますが、できれば納得のいくやり取りが望ましいです。
ですが、ぼくもいろいろ調べたり問い合わせてみたのですが、難しい部分もあるみたいですね。
だから、最後まで見てやろうと思っています。
そのやり取りの中での『嫌な部分』というものを。
シース誤挿入の時に早めの判断、それからシースの抜去。その後のこのかへの処置。
それから、ハイケアに移ってからの病室や看護師サンたちのこのかへの対応。
凄く気を使っていただきました。
そのことはありがたかったです。
だけど、ぼくらはまだ納得できていないところがあります。
それは、『合併症』そのもの意味合い。
それから、インフォームドコンセント。
今回の事でわかったことですが、むやみに任せるだけでなく何かが起こったとき、起こりうる時での十分な役割をはたす内容の確認をしていくべきだったことは、ぼくらは反省すべき点です。
だけど、親は100%その病院や担当医を信じて預けているわけです。
それから、今回のような『合併症』は起こしてもいいものではけしてないとぼくらは感じています。
〝さまざまな形で守られている部分〟がありますが、これ以降このような〝シースの誤挿入〟や、他のさまざまな起こりうる確率の低い『この合併症』がこの病院でも、他の病院でもけして起こらないような傾向と対策をしっかりとやっていって欲しいと心から願います。
本当にいろんな意味で、カテって難しいですね。
今回のことに関して正直な気持ちを書きました。(もちろんすべてではないです。)
これを読んでいただいた方はさまざまな感じ方があると思います。
それをどうこうなどとも思っていません。
ですが、先天性心疾患のこどもを持つ親として子供、親と医師、病院とはどうあるべきなのか?
それは今後の課題でもあるし、多分永遠に続く課題だとも思っています。
それから、このようなことが起こりうるということをこの日記にただ残しておきたかっただけです。
気分を害された方がいらっしいましたら大変申し訳ありません。
読んでいただいてありがとうございました。
以上が当時のmixiでの日記です。
この〝シース誤挿入〟は、自力で調べたところ、2009年の山梨で同じような事があったとPDFに記されています。
ちょっと専門的なファイルなんで難しいかも知れませんが貼っておくのでぜひご覧になってください。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsca/29/4/29_4_480/_pdf
ほぼ、このかと同じです。
ファイルにも書いてありますが、大腿動脈(太腿の内側の部分)へシースを挿入したけど、静脈閉塞のため頸静脈(首の付け根の部分)からのアプローチとなったと。
ではなぜ両方の静脈が閉塞(塞がっている状態)しているのか?
これは個人的にお聞きしたりした上での見解ですが、前のオペなどでその静脈をたくさん使って、使いすぎたために血管自体の隙間がほとんど無く、潰れている状態になるからなんです。
だからその血管自体検査には使えなみたいです。
後は、グレンのオペに対してのカテなので頸静脈からのアプローチになったのではないかと?
この事が起きた日、僕は仕事でサロンにいました。奥さんから泣きながらサロンに電話がありましたが、ほとんど自力で話せなかったので看護師さんが代わってくれてこれまでの経緯を説明してくれました。その説明の間ずっと奥さんの泣いている声が聞こえていたのを今でも覚えてます。それから仕事をしていた僕はすぐ仕事を切り上げ病院へ。
それから担当循環器医師の説明と話しをしました。
たくさんぶつけたい事ありましたけど、僕は初めに担当医にこう問いかけました。
〝S先生はお子さんいらっしゃいますか?〟
〝もし自分のお子さんがこんな事されたら、親としてどう感じますか?〟
僕は素直に医師として、では無く同じ親としてどう感じるのか聞いてみたかったんですが、S医師はなにも答えず只々、申し訳ありません。
と僕らに言ってました。
その話し合いの間ずっとも奥さんは泣いてました。
きっと早くこのかに会いたくて、このかが心配で、この先のこのかがどうなるのか?
それは僕も同じです。
それからこのかに面会できたのは3時間後でした。
それからは治療を続けながらでの病院側とのやり取りが続きました。
けど、窓口は保健福祉さん。
〝にゃろー!〟
って何度も思いましたけど、なかなか責任者と直接話はできませんでした。
だから、僕たちはこの事で感じた事、これからこのかに対してやって欲しい事、それからこれからもう二度とこんな事が起きない様にと病院に対して書いた文章を書きました。
それからもう一つ。
循環器担当医S医師をこれからもこのかの担当医にしてもらう事。
〝おかしい〟
と感じるかもしれませんが、僕らの決断はこれからもこのかを責任持ってみて欲しいと感じたからです。
それと同時に、S医師以外にもう一人担当医を付けてもらう事。
ですが残念ながらよく年の2月にそのS医師は他の病院に配属になり居なくなってしまいました。
病院からは何も知らされないでS医師が居なくなったので、僕らはS医師に手紙を書き病院側に渡してもらいたくお願いしました。
それから、病院側とのやり取りの一つで今でも覚えてる事があります。
HCUのこのかの病室に皆んなが集まり話しをしていた時です。
当時の循環器の部長さんがこう言いました。
〝今回の合併症はこれで済んで良かったですね。死にはいたらなかった事が幸いです。〟
僕らには、〝死なずに済んで良かったですね、まだ生きているから心配ないですよ。〟と聞こえました。(そう聞こえる位、当時はそうとう頭にきてたんだと思います。)
正直、言葉が汚いけど、〝合併症じゃねえだろう!お前らがやった事だろ!〟って言いたかった。
でも、堪えた。
だから気付いたら口の中が切れて血の味がした。
それくらい悔しい思いでいっぱいだった事を覚えてます。
この事を身内や友人に話すと、〝訴えろ〟や〝病院変えた方が?〟と言われました。
だけどね。
訴えるのは簡単でしょ。
僕らは訴えて、保証してもらってとか頭ん中に無かったです。
まずは、今回の事が起きた事に対する事実を病院側が親身になって受け取りどう今後の対策を打ってくれるのか?が、大事な事って感じたんだよね。
後、訴えるっても裁判するのもこのかの手術が全て終わってからになるでしょう?
そんな〝たくさんの悔しさやわだかまり〟を抱えて生きるのは、正直イヤです。
それなら僕らが頑張って、病院側に訴えていく方が気持ちが落ち着きます。
もちろん、時間と労力は凄い使うけど。
結果は、次の日記に書いているので後日アップします。
相手はプロでしょ。
こっちは素人。
だから当時は大変でした。
やっぱり、なかなか知りたい情報を病院側は渡してはくれなかった。
だから、自力で調べたり他の人から話しを聞いたりして対応してたのを覚えてます。
この事以降、僕は〝合併症〟という言葉が嫌いになりました。
2017/01/16
今日は今年初めての外来でした。
すごくいい天気!
だけど、肌寒い日でした。
今回の検査は心電図、採血、レントゲン、身長、体重測定。
のんちゃんの凄い所は、採血する際彼女は泣きません。
しっかりと採血されている腕を見てます。
絶対痛いはずなんですよ。
でも前から泣いた事が無いです。
ひょっとしたら、慣れもあるのかな〜。
産まれた時から、たくさんの点滴や注射してきたから〜。
看護師さん達は、〝偉いね〜このちゃん!〟と言ってくれるけど、僕はそれが少しだけ寂しくもある。
本当に彼女は色んな意味で強いです。
採血後、たくさんのキャラクターが手書きで書いてある絆創膏を選ぶのが彼女の楽しみの一つです。
(ちなみに、今日はマイメロでした)
それからレントゲンの待ち時間は、MRIとCTのオモチャでいつも遊ぶ (笑)
全ての検査はもう慣れたもんでスムーズにこなします。
これがいつものコースです。
それからY医師の受診です。
今年初めてなんで、〝おめでとうございます!今年もよろしくお願いします。〟とのんちゃん。
Y医師も〝おめでとう!このちゃん。〟
それから、サチュを計りながら検査した結果をモニター見ながら教えてくれます。
今回メインになった話しが来期に向けての話し。
来年の心カテの話しをしていた時に嬉しい話し!
来年の心カテは、もう少し先に。
見解としては、サチュもさほど数値が変わらないという事は、肺の圧も上がり過ぎていないという事。
それからフォンタン後の心カテは基本5年後。のんちゃんはフォンタン後2年。
無理して来年心カテするよりは、先の2年後に心カテやってもいいのでは。
と言う事になりました。
それに対しては、僕も賛成でした。
理由はY医師も同じでしょうが、のんちゃんの身体の負担。
それだけです。
後は、臨床心理。
先天性心疾患の場合、発達や成長障害が出てきます。
それをサポートするのが、臨床心理室。
のんちゃんが3歳の時のテスト結果は67。
この臨床心理を今年の夏までにもう一度再検査する事。
この再検査の結果次第で結構変わる。
だから僕らはその先を見ていかないとね!
それから嬉しい事がもう一つ。
今まで、2ヶ月に一度の外来が⁉︎
なんと!
3ヶ月に一度に。
嬉しい〜。
そして新たに始めます。
臨床心理の勉強。
心理学は昔やっていたから入りやすいんだけど、臨床心理学知っている人分かると思いますが、一筋縄ではいかない 涙。
でも、頑張るばい!
検査終われば、のんちゃんご機嫌です。
今日のお昼ご飯は珍しく、サンドイッチ。
それから大好きな唐揚げ〜。
その後は、バスの時間までお散歩します。
お家に帰って、奥さんに〝臨床心理学勉強しようと思って本買ってきたんだよね〜。どう、これ!〟って言ったら、〝医者にでもなるつもり⁈〟と突っ込まれました(笑)。
それからいつものように、〝医者になれば。〟
〝のんちゃんに何かあった時、自分で治して上げたいんでしょ!〟って。
だから僕もいつものように、〝うん!〟って言ってます。
2011/11/18
いろいろ書きたいのですが、今はなんとも。
カテってそんなに上手くいくものじゃないんですね。
うまくいけば昨日の午前中に退院だったのですが、今はICUにいます。
ただ悔しい気持ちでいっぱいです。
また状況が落ち着いたら報告します。
以上が当時mixiでの日記です。
カテって検査のイメージですが、全身麻酔やるんですよ。
乳児にとっては凄く負担になります。
それから造影剤。
この造影剤でアレルギー起こす事もあるんです。
その造影剤を前回とは違ったものを使用した場合で亡くなった方もいらっしゃいます。
だから、造影剤の事はしっかり聞いて説明してもらうべきです。
後は放射線量もしかり。
後はそれに伴う合併症と起こりえない事が起こってしまった時です。
重度の心疾患の場合、根治が終了するまでに最低3回はこの心カテやります。
このかの場合、その後1回。
それから、小学校に上がる前にもう一度やります。
今回の事は次の日記に詳しく書いているので後日投稿します。
それは、外科手術でも心カテでも言える事でしょうけど、僕らは本当の意味で“色んな覚悟”をしないといけないと感じました。
それから僕はこの事がきっかけで、もし生まれ変わったら心臓外科医か循環器医師になりたいと思いました。
その気持ちは、今も変わりません。
2011/11/11
昨日はこのかの眼科外来の日でした。
産まれてから左目の調子がよくなく、今回が初めての眼科でした。
相変わらず、こども医療センターの外来はどこも混んでいますね~。
定時に受診できると思っていましたが、約40分遅れで見てもらいました。(まぁこれでも待ち時間は短いほうですけどね。)
眼科の先生からは直接〝眼瞼下垂〟という言葉は出てきませんでしたが、まだ産まれてから3ヶ月と少ししか経っていないので〝なんとも~、様子を見ましょう。〟としか結局のところ言われませんでした。
そこでいろいろ突っ込んで聞いてみたのですが、やはりまだ産まれてから間もないと判断ができないのと、1歳半位から視力がはっきりしてくるのでそれからの治療になるそうです。
視力がしっかりしてきてからの処置としてはだいたい片目にアイパッチやガーゼなどで覆い弱い方の眼を使って見るようにして、両目の視力のバランスをとって行くらしのですが、それでも瞼が上がってこない時は筋力が弱いので手術をして両目の瞼のバランスを同じにするそうです。
この手術、こども医療センターでは、だいたい4歳から5歳で出来るようになります。
3歳からも出来るのですが、すぐやりたい場合は他の病院を紹介する形になるそうです。
改めて聞きたいことは聞けたのですが、医師からの答えは〝同じで様子を見ましょう。〟との事でした。
様子を見る。
といってもね。
なんにしてもそうですが、先が見えないのは不安が付きまといますね 涙。
次の眼科外来は半年後です。
半年たって少しは瞼が開いてくるといいのですが~、こればっかりは解りません。
後は視力ですかね。
これもまだまだ先のこと。
心配ばかりしていてもしかないので、前向きにこのかペースで信じてやっていくしかないですね~。
そう言えば、前に書いたんですがこのかは本当にかんろくが出てきてうちの奥さん曰く〝芸人さんの原西に見えてきた~笑〟などと言ってはこのかの成長を楽しんでいま~す。
また時間と共に顔の表情も変っていくもんですね。
最近は良く笑ってくれるので、癒し度アップしております。
さぁ、来週はカテです!
以上がmixiでの当時の日記です。
この眼瞼下垂(がんけんかすい)に関しては日本眼科学会のリンクを貼っているのでご覧下さい。
このかの場合、その後半年の眼科検診の頃にはすでにこの異常は見られませんでした。
次の検診が半年後でも、その期間その異常が見られなくても、しっかり受診していくことをオススメします。
面倒だったり、忘れやすかったりしますけど、担当医のOKが出るまでは根気よくいきましょうね!
2011/11/06
大変ご無沙汰しておりました。
退院して我が家にこのかが来て2ヶ月が経ちました。
ようやくいろんな事にも少しつづですが慣れてきてこうして日記も書けるようになりました!
本当に沢山の事に気を付けながら、そして長女や奥さん、それからこのかとのふれあいの中、気が付けばもう11月。
退院してからいろんなことがありました。
このかの具合や症状が少しでも違うと医療センターに電話をして聞いてみたり(電話しすぎてブラックリストに乗っているかも 笑)、飲んでいるミルクや母乳の量も成長と共に増えていきますね。
はじめ30mlだったのがいまでは一回の授乳で130mlも増えています。
そして、夜鳴きも少なくなって、最近は21時ごろミルクを飲むと4、5時くらいまで寝てくれる時もあります。
それからようやく体重も3000gを越えました。今月2日の外来では先生から〝貫禄が出てきましたね~っ。〟などと言われる位コロコロしています。
でも一番大変だったのが、保育園に通っている長女が風邪をひいてしまい、すぐにこのかから離して隔離。
ぼくが長女を見ていたのですが、なぜか奥さんに風邪がうつってしまい二人とも39度の熱をだしダウン(涙)
結局ぼくがこのかの面倒を見ていました。
本当に二人の風邪が完治するまでのこの4日間は正直疲れました。
思ったことは〝体が丈夫でよかった〟です。
そうこうしていると、今度はこのかの様子がおかしい。
奥さんが医療センターに電話して担当医に聞いてみると、〝風邪ですね。日日医大でいいので受診して薬をもらってください。〟とのこと。
ぼくらは、〝えぇ~っ!〟です。
しかも、風邪ときいたとたん、悪い方向に考えてしまいます。
〝風邪ひいいて本当に大丈夫なのか?不安です。
翌日、日医大に行き受診して薬をもらって帰りました。
それでもぼくらの不安は消えないわけです。
心配しすぎといわれればそれまでですが、初めてのことなんで不安だらけです 涙。
そんな生活を3日間過ごしていると、このかの熱も平熱に戻り、鼻が詰まって息苦しくなく、夜鳴きもなくなってきました。
食欲も戻り、母乳やミルクをあげるときは〝ウ~ゥ、アウ!!〟といいながら行きよいよく飲んでいます。
そんな中、カテ入院の日が決まりました。
今月15日から3日間、カテ入院します。
検査結果次第では次のグレンが決まりそうです。
ぼくも奥さんもドキドキ、ハラハラしている毎日です。
このかを見ていて感じるのですが、本当に赤ちゃんは凄いですね~。
心疾患だという事を忘れてしまうことがある位、元気に成長してくれています!
そして、このかを抱っこするたびに日々の成長を肌で感じます。
それからこうして4人で一緒に入れることに感謝です。
乳び胸とサチュレーション
乳び胸は、看護用語辞典ナースpediaのリンクを張っていますのでご覧下さい。
調べた事ある方は知っていると思いますが、〝ワンちゃん〟もなるんですね~。
動物病院のサイトが当時はたくさん出きました!
この乳び胸は、一度なってしまうと次も高い確率でなります。
それから、なかなか治りにくい 涙。
その症状に伴い、水分制限があります。
このかの場合、1~2日間の断食などは当たり前。
乳びのたまり具合でミルクの量が決まります。
それから、母乳や普通のミルクはダメで、MCTミルクをつかっていきます。
MCT: 中鎖脂肪酸トリグリセリド:Middle Chain Triglyceride
一般的な食品に多く含まれている脂質はLCT:Long Chain Triglycerideという、炭素数が14~18個以上の長鎖脂肪酸です。
これに対して、炭素数が8~12個のものを「中鎖脂肪酸」といい、MCTはLCTに比べて炭素数が少ない分、分解速度が速く、LCTの4倍のスピードで吸収されると言われます。
LCTが吸収される仕組みは、 小腸→乳び管→リンパ管→胸管→門脈→肝臓 と経由していきますが、 MCTは小腸から直接 門脈→肝臓へと行くため、リンパ管を経由せず、よって乳びが胸腔に漏出するのを防ぐ効果があるそうです。
MCTミルクは、MCTを主たる脂肪成分としている特殊組成されたミルクだそうですよ!
当時は、ネット販売してなかったので僕たちは、医療センターにお願いして直接、meijiから購入してました。
今では、アマゾンでも買えますよ。
看護用語解説サイトのリンクを貼っていますのでご覧下さい。
サチュは、本当によく使います。
外来行けば必ず、サチュ計りますからね。
もちろん家庭用のサチュレーションカウンター売ってます。
このかの場合、産まれてからのサチュは72位。
もっとも低い時は68位でした。
これもグレン、フォンタンと進むごとに上がってきます。
でも標準って知らないですよね。
普通の人で、100あります。
だから、低いと酸素が足りないのでボンベから酸素を送り込みます。
中には、退院後でもサチュが低い場合は在宅酸素もあります。
余談ですが、サチュと血圧は関係があります。
サチュが低いと、血圧も下がります。
よく言われていることですが、よく息を何秒とめれるか?ってやりませんでしたか?
息を止めている間は、体が酸素を取り込んでないので血中の酸素濃度はどんどん下がります。
と同時に血圧も下がり、脈拍は上昇します。
息苦しくなって、〝もーダメ!!〟な時で、サチュが80台と言われてます。
(もちろん個人差があります)
それからこのかが日医大に2日間入院した時は、初め酸素マスクしてました。
入院時に、担当の看護師さんが検査で数値を図りに来て、その後慌しくなり酸素マスク。
僕らはなんで?
って思ったのでその看護師さんに、このかの病気の事、このかの普段のサチュの事を伝えたら安心したらしく、その酸素マスクを取ってくれました。
前の日記でも書きましたが、救急車で医療センターに搬送される時も必ず酸素マスクをつけられます。
それから同じように、このかの事を伝えるとマスクを取ってくれます。
きっと決まっていることなんでしょうけど、パルスメーターを見る限りサチュ値はあまり変ってないんですよ~。
ここ1年でのこのかの平均サチュは92位です。
もちろん小1時間くらい走り回っていると疲れるのか、自分から休んでますけど普段の生活には全く問題ないくらいなんです。
だけど、疲れが溜まっていると睡眠時間が長くなります。
それから、寝起きも悪いです。
そんなこのかの症状を見ながら僕らは判断して遊ぶ時間の調節などをしています。
が、
相手は子供。
あまり言うことは聞いてくれませんね~っ。