ka-noneの日記

先天性心疾患で産まれた娘の成長を2011年~2018年4月まで書きました。2019年から日記を再開しています。

フォンタン手術

cts.m.u-tokyo.ac.jp

東大病院心臓外科のリンクを貼ってますのでご覧下さい。

1971年にフォンタンとクロイツェルが三尖弁閉鎖症に対する外科治療として行われました。

なので、フォンタンのオペをするようになって46年経っているということですね。

もしこの時期にフォンタンをやって生きていらっしゃる方がいるとしたら50歳前後ではないでしょうか。

ですがこのフォンタンを終えた患者さんがいったいどれ位いらっしゃるのかははっきりと分かりませんが、2014年のデータで先天性心疾患でフォンタンを必要とする患者さんの数は、〝100人~200人に1人〟と言われています。

1990年代では、成人期でのフォンタンも行っていたようですね。

そして、フォンタンは人工血管をつかいます。このかもそうですがゴアテックスの人工血管を使っている病院が多いようですね。

太さは大体12~16mmのもので、このかは13mmの人工血管が入っています。

なんかちょっと専門的になりそうなんで細かい部分はこの辺で。

 

 

 http://picu.umin.jp/video/operation/fontan.mp4

イラスト動画のリンクを貼ってますのでご覧下さい。

人工血管の位置や血流も見やすくイメージが付きやすいと思います。

 

上でも書きましたが、フォンタンを終えた成人先天性心疾患の患者さんもご結婚されたり、お子さんを出産されたりしています。

そんな本や、お話やセミナーはすごく勉強になるし、励みになります。

その人口も年々増え続けている。

そういった意味でも最近は成人先天性心疾患の患者さんに対してフォローを行っている団体などがいま力を入れています。

これはまた書けるタイミングがあれば書いていこうと思っています。

 

近年、外科治療や内科治療は年々進歩しています。

10数年前だったら助からなかった命も今は救えたり、難病で治療方法が無くてもこれからの研究で治療ができるようになったり、新薬ができたりしています。

この先天性心疾患に対してもここ数年で凄い進歩を遂げています。

最近はiPS細胞を使った研究も進んでいて、細胞シートを使って心筋に移植して成功したり、某大学では、ここ10年までに心臓を作るという研究も行っています。

禁断の領域のように感じもしますが、それを使える事で繋がる命がたくさんあるんですよ。

そんな治療が誰でも受けられる世の中に早くなって欲しいと願ってます。

後の日記にも書きますが、拡張型心筋症や小児がんなどの治療は凄まじいです(泣)。

時間との戦いになります。

 

 

僕自身、このかが先天性心疾患ということもあり、今までたくさんの親やお子さんに会ってきました。

 

そこでたくさんのお話も聞きました。

 

そしてお空にいった話も聞きました。

 

そんなたくさんの係わり合いの中でこの病気に対しての勉強も続けています。

今では、白血病や骨肉腫などの小児癌や脳神経、臨床心理、それに今は癌について少しづつですが勉強をしています。

それから赤ちゃんや子供を取り巻く環境や症状、虐待に関しても5年前から初めています。

勉強してどうのこうのではないですよ。

少なくとも気持ちが分かる部分もあるし、一番はその親やお子さんの気持ちを分かりたいんです。

もちろん一番頑張っているのは治療を続けているお子さんです。

けどね、その親もすげー頑張っているんです。

 

誰にも相談できず。

 

誰も助けてくれず。

 

吐き出す場所や人もいないです。

 

それが相談しにくいことでも相談しやすかったり、100%は無理でもほんの少しでも支えあえたり、誰にも言えない事でも吐き出せたりできるだけでも違うんですよ。

少なくとも僕らがそうでしたから。

 

なんか長~くまた書いちゃいましたけど。

気分悪くされた方がいらっしゃいましたら、すいません。

そういった事でお互いが助け合ったり、支え合ったりする事が大切なことだと僕は思っています。

 

2013/02/06

フォンタン後、HCUに戻ったこのかですが、ちょっと話を聞いていた通り表情が!?

大好きなアンパンマンのDVDを見せても、無表情。

後は泣くことしかありません。

名前を呼んだり、話しかけたり、微笑んだりしても以前とは全く違って反応が帰ってこないのは親としてショックです 涙。

医療センターには交代で行ってました。
朝から夕方までは奥さんが、夜は僕の仕事が早めに終われば最終の22時までいました。
初めは、自分が固定されていることも知らずに動きたいのに動けない事が嫌で、泣いていることが多かったし、今まではそんなに嫌がらなかった薬も嫌がって。
無理に飲ませると、決まってすぐ後からもどしてしまい泣いていました。
食事も彼女なりに好みがあるらしくご飯と鳥のひき肉は飲み込めないのかあまり好んで食べませんでした。
しかし、野菜や芋類は好んで、パクパクすごいい勢いで食べてましたね!
術後、6日くらいから食事も完食するようになりました。 
その頃くらいからクッションに支えられてお座りできる様になってご飯も食べれるようになったけど、まだまだ表情は戻りませんでした。



そんなこんなで、先月の大雪の日。
仕事終わりに医療センターに行ってきました。

なんとか東戸塚からバスに乗ったんですが、バスの運転士さんがアナウンスで〝本日は医療センターに乗り入れしません〟と。

何~っ!!!!!!!!!!!!

聞いてみたら、雪の影響らしく、近くのバス停から歩いて下さい。って。
仕方ないので、近くのバス停から歩きました~っ。
とにかく、雪がすごいのと、あの坂道。
滑って、油断しているともっていかれます。
やっとの思いで病院につきました~っ。
医療センターに通ってから約2年間で初めてだったので、ある意味勉強になりました。
しっかり覚えとかないとですね~っ。

HCUに入って、このかの病室へ。
すると看護師さんが僕のところへ来て、〝日曜日に退院の話が出ていますよ!〟。
僕は、〝何~っ!〟。
次の日に担当医から説明があるので、その時に詳しく話してくれるそうなんですが、奥さんはその日のお昼まで病院にいて、そんな話はしていなく、、、、、、、、。
また、いきなり退院!?

毎回のことですが、いつもこんな感じで突然言われるので、驚きや嬉しいやら心配やらいろんな感情が出てきますね~。 
その日はこのかもすでに寝ていたので30分位で早めに病院を出ました。
もちろん帰りも途中のバス停まで歩きです~っ。
やっぱり帰りの方が怖いですね。
あの下り坂、奥さんに退院の話の電話をしながら歩いたせいか、30分位歩いてました。 
あの日は、電車の本数も少なかっいたので帰るのも散々でしたけど、今となっては忘れられない日になっています。



次の日、奥さんが退院の説明を受けだんですが、説明をうけるならT医師が良かったらしく、時間が取れるまで待っていると、先にA医師が、〝僕じゃダメかな~っ〟みたいな表情で入ってきたそうです。

奥さんが、〝先生、退院早くないですか~?〟と聞くと。

A医師はつかさず、〝いや~、全然大丈夫でしょ!遅いくらいだよ!〟と満面の笑顔で答え、〝一週間位でも良かったんだけどね~っ〟と太鼓判おされたみたいです。

ちなみにドレーンはその日の朝取れました~っ。
そのあとに、T医師も来てくれて沢山退院のこと聞けたみたいです!
十分な説明と太鼓判。
退院後の不安もあるけどやっぱりじっくり話を聞けると気持ちが落ち着きますね〜。
そんな話を奥さんから聞いて話をしていると、また〝A先生!やっぱりなんかいいことあったんだよ〟と僕らの妄想も続くわけですよね。

多分、昨年の年末からのA医師の変わり様。
気づいているのは、僕らだけではないはずです(笑)。



退院当日。
その日まで、結局このかの笑顔は病院では見られませんでした。
退院するとき、お世話になった看護師さん、新生児から覚えてくれている看護師さんたちに見送られながらHCUを出ました。

 

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これから新しく覚えていかないといけない事やこれからのこのかのことを沢山話しながら、お家に帰りました。

お家に帰ってこのかに話しかけていると、彼女は少し微笑んでくれました。

〝今笑ったよ!〟と奥さんを呼んだら、僕ら二人のまえでまた彼女は微笑んでくれました。

 


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ノンちゃんお帰り~っ! 

 

 

以上が当時mixiでの日記です。

ちょっとここでいくつか心臓のオペをする時に使う用語があるので書きますね。

 

【ドレーン】

 術後に心臓の周りや胸の中に溜まった血液や水を体外に排出する為の菅(ドレーン)を留置している為出血や水の量が減ってきたら外していきます。

 

このドレーンは術後必ず行うもので、医療センターではドレーンが外れた時点で問題が無ければ退院できます。

このかの場合は、11日で退院できました。

担当医曰く、早めの退院もリハビリの1つだそうですよ。

このドレーン、痕が残ります。

 

 

【開胸手術】

 心臓の手術をする時に行うオぺです。

全ての疾患に行うものではないですが、必要な心疾患に対してはこれを行います。

その心疾患の種類によって、何処をどれ位開くのか?は違ってきます。

一回目のオペで胸骨を切っています。閉じるときに胸骨をワイヤーなどで固定させるのですが、2回目のオペ(再手術)の時には癒着剥離(傷が治る際に周りとくっついてしまう事を癒着といい、それをはがす操作を剥離といいます)という操作が必要なので慎重に行います。

それが2回目、3回目になっても同じ部分を開くので傷跡がそれ以上広がらないようにしています。

心外の担当医もおっしゃっていましたが、この癒着剥離は凄く神経を使うそうです。

これをしっかり行う事で、その後の合併症も防げるとの事。

日記にも書きませたが、そこに菌が繁殖した場合はその菌を取り除き、その菌の繁殖がなくなったのを確認してから閉じるという事。

その日数は読めないらしいです。

この話を聞いた時は凄く胸が痛かったです。

とても他人事と思えないのもあり、涙がでました。

http://www.byouin.metro.tokyo.jp/shouni/section/singeka_shikkan.pdf

上に小児心臓病と心臓手術についてのファイルを貼っているので、ご興味のある方はご覧下さいね。

 

 

 

先月の話ですが、実家の温泉に行った時の話しです。

温泉に入っているとみんな見るんですよ。

 

のんちゃんの胸の傷跡。

 

まだ彼女は周りの目線を気にしないで年齢なんで気にしてなかったけど、僕らはその目線がきになりました。

すれ違う人、みんなのんちゃんの胸を見る。

きっと見ている人は小さい子供なのに大きな傷って、何かあったんだろうなぁ?って思っているかもしれませんけど、この子が大きくなった時にそれをコンプレックスに感じる年齢になる。

どこまでできるか分からないけど、そんな時しっかりフォローしていけるようにしていかないといけないなって改めて認識しました。

 

彼女はいま5歳です。

 

再来年には小学校に入学します。

決めていた事ですが、彼女が小学校に入ったらこの病気の事をしっかり伝えていこうと思っています。

 

この病気がどういうものなのか?

 

どんなことに気をつけないといけないのか?

 

この先の通院やカテの事。

 

それからお薬の事。

 

この病気や傷跡を聞かれたり、見られた時の対応の仕方。

 

まだまだたくさんありますが彼女に伝えていこうと思っています。

彼女にもこの病気を受け入れて欲しいからです。

受け入れるということは、この病気と共に生きるという事。

大げさに聞こえるかも知れませんが、そう生きて欲しいんですよ。

これは親の勝手な思いなんでしょうけどね。

 

 

 

 

 

2013/02/01

久しぶりに日記を書きます。
昨年の6月からいろんなことがあり、気づけば半年ぶりです。

昨年の11月にカテをやり、年明けにフォンタンをやることになったのですが、肺血圧がやや高め。
どうやら三心房心の手術を行った時の隔壁がまだ血流の邪魔をしている可能性が高いそうで、フォンタンやるときに一度開けて見ないと解らないと言われました。
問題なければそのまま閉じるそうですが、何回聴いてもこのような説明を聞かされるのはやっぱり不安になりますね。

次の心外の外来でフォンタンを1月10日にやることが決まりました。
その外来のときに僕らは、A氏の話を聞いているんですが、このかはA氏の机をカリカリかじってました。
それを見たA氏は、〝机、美味しいね!〟って笑顔で行ったんです! 
今までそんな笑顔でだなんてなかったのに、僕らは外来が終わった後に、〝A先生、なんか変わったよね~っ!いいことでもあったのかなぁ。〟と今までとは違う対応にニヤニヤしながらそんな話を帰るまでずーっとしてました。 

年が明け、9日に入院。
ハイケアに入ろうとした瞬間、このかは突然泣きわめきました。
やっぱり一歳過ぎると自分が何をされるのか解るというか感じるんですね。
手術についての説明はやはり房心の隔壁を確認したいから一度開けるとのことでした。
それから、〝フェネストレーション〟の説明も受けました。
これは、僕らは知りませんでした。
後は、その後の合併症についての説明を沢山聞きました。
お友達でフォンタン後感染症にかかり再度開いて処置をしてその後一週間は閉じないで開いた状態が続き、菌がなくなったのを確認後閉じたお子さんがいたのでそのことも詳しく聞きました。
こういうことはしっかり聞いておかないと落ち着かないので。

それからその日一日、ずーーーーーーーっと泣きっぱなしでした。
長女の保育園のお迎えがあるので、僕は途中で抜け出しお迎えに、一緒に医療センターに着いた時はもう7時になってました。
このかはようやく8時過ぎに寝てくれたので、僕、奥さん、長女の3人はお家に帰宅。

当日、医療センターに着き、ハイケアに入るとベビーカーに乗っていて泣き疲れたのかグッタリ。
僕らを見つけると安心したのか彼女は泣いてしまった~っ。
それから手術の時間まで抱っこしてました。
予定が早まり、このかを抱っこしたまま手術室の前まで。
看護師さんに彼女を渡すと、抱っこされたままずーっと僕らの方を見ながら手術室の扉が閉まるまで泣いていました。
もちろん扉がしまっても鳴き声は聞こえるわけです。
なんか、痛いですよね。
胸が締めつけらる感じ、奥さんを見ると彼女は泣いていました。
バンティングやグレンの時とは全然違いますね。
それだけこのかが成長したってことでしょうか。
とっても複雑な気持ちだったのを覚えています。

AM11:30に手術室に入室。
30分経っても落ち着かないので、僕は、僕と奥さんの両親に電話しに。
待合に戻ってくると、まだ時計が5分しか進んでない 涙。
なんでこんな時は、時間が過ぎるのが遅いんですかね~。
待っている空いだは、ウロウロしたり、心疾患の本やプリントを読んだりしていました。
夕方4時頃になると僕はまた長女を迎えに保育園へいかないといけないので、ピッチを奥さんに渡して病院を出ました。

〝なんかあったら連絡して!〟

それだけ伝えて。
長女をお迎えに行き、最寄りの駅に着いたのが4:40。
まだ連絡がない。
長女と一緒に電車に乗り、メール。
東戸塚に着いた時はもう5:30をまわってました。
それからタクシーで病院で向かう途中で無事に終わったと連絡がありました。

タクシーを降りて急いで待合へ。
奥さんに話を聞くと、一度開けてみたけど隔壁に問題はなかったからすぐ閉じて、フェネストレーションもやらなで無事にフォンタンは成功。
少ししたらICUに入れるので、とりあえず長女にお弁当の夕食を食べさせていると看護師さんが呼びにきたので、奥さんから面会。
戻ってくると、ちょうどA医師がいたらしく、術中、術後のことを直接聞けたみたいで、奥さんはニコニコしながらいっぱい教えてくれました。 

次は僕の番!
いつもの様にICUへ入り、このかのベッドへ~っ。
このかを見て驚いたのは、すでに呼吸器が外れていること。 
後、このかの顔色、唇の色がいい、腕や足など触ってみると、あったかーぃ。
サチュレーション見ると、98でした! 
フォンタンって、すごいですね。
一気にテンションマックスでした。 





続きはまた近々日記に書きたいと思っています。
途中、つぶやきでの報告になっていましたが、皆さん本当に気にしていだだいて嬉しかったです!
このかも頑張ってくれました。
本当にいつも色んなことでみなさんが僕らの支えになっています。
そして感謝してます。
これからもどうぞよろしくお願いいたします!

 

 

以上が当時mixiでの日記です。

この年の6月に父親や他界して8月過ぎるまでは月1回ペースで実家に帰ってました。

もちろん一人で福岡へ帰省していたんですが、8月は初盆だったのでノンちゃんも一緒に家族みんなで帰省しました。

 

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地元はお盆に花火大会と精霊流しがあるんですよ!

初盆なんで小さな親父の船を作って、それを親父の船に乗せて沖合いまで運びます。

沖合いまで運んだらそこで船を流すのですが、それまでは船の上でみんなで花火を盛大に行います。

 

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この精霊流しは昔からこんな感じですよ~。

その時に船を出してくれたのが、親父の幼馴染のおじさんです。

頼んだら快く引き受けてくれました!

本当に感謝です。

流し終わったら頃にちょうど花火が上がります。

見たことある方もいると思いますが、沖合いから見る花火は格別にきれいですよね~。

夏ですが、海の上なので風が気持ちいい!

 

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それから、フォンタン前には心カテがあります。

心カテは3日間。

1日目は検査です。

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必要に応じてMRIやCTも撮ります。

だから1日がかりになります。この日は病院に泊まってもいいのですが、のんちゃん一時帰宅。

次の日の早朝から病院へ行き、カテ入れます。

グレンまでは、泊まっていたんですが、カテの順番が遅くなるので一時帰宅しても十分間に合うんです。

他の病院は知りませんが、医療センターでの心カテの順番は赤ちゃんが順番的に早いんです。なので、この時のノンちゃんは13時頃。

といってもだいたい押してしまうので、14時くらいになります。

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心カテ当日は、病院での宿泊になります。

翌日、体に異常が見られなければそのまま退院。

早ければ13時ごろ退院できます。

もちろんお昼ご飯も食べれますよ。

 

手術の場合は、前日から入院します。

この時の検査もハンパないです。

それからオペ当日、僕らがHCUに入りオペまで待機します。

カテと同じで、前のオペが押していたら時間も変ります。その時はすごーく時間経つのが長いんですよ。

オペ後は、その後の日記に書いているので後日またこの日記に投稿しますね。

 

上の日記に書きましたけど、〝フェネストレーション〟があります。

通称〝穴あきフォンタン〟とも言います。

フォンタン手術 | 国立成育医療研究センター

成育医療研究センターのリンクを貼っているので興味があればご覧下さい。

 

ノンちゃんは、肺の圧が高いのですが〝穴あきフォンタン〟しなくてすみました。

これもその子の検査結果や症状で変ってくると思います。

全てはチームの判断です。

 

前にも書きましたが、先天性心疾患の患者さんに対してチームで動く事が多いです。

心外だけでは動かないし決めていない。

オペやカテの前に循環、小児科、心外、麻酔科、ICU、 HCUや脳神経外科など様々な科が集まってカンファレンスを行い、その子にとっての一番を決める。

緊急時などは違うと思いますけどね。

 

本当にこのときは無事に済んで良かったです!

このフォンタンを僕らは目指してきましたから。

それが無事に終わった。

本当に嬉しかったんですよね。

これで〝根治〟しました。

 

 

でも

 

 

安心したのも

 

 

束の間

 

 

後の日記にも書いてますが、いろんな事起こります(涙)

フォンタン終われば、これで!って思っていた僕らが甘かったです。

それも後日投稿します。

 

2012/06/19

今月の9日に親父がなくなりました。

 


なんかあれですね、書きたいことが山ほどあるのになかなか言葉が出てきません。



福岡滞在最終日にぼくら家族で近くの観覧車に乗ってきました。

 

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実は、生前から長女とぼくの親父が電話で約束をしていたんです!
だから、じいじと一緒に観覧車に乗りにいって来ました。
じいじはもういないので、じいじの写真をもっていき一緒に。

長女も大喜びだし、実家にいって中耳炎がひどくなったこのかの機嫌もよく、観覧車に乗っている間は長女からは〝あれは、な~に?〟と質問攻めでした。
ぼくはと言うと、改めて変ってしまった姪浜の風景を見ながら、奥さんと親父の話をしていました。

観覧車を降りた時、長女とお約束をしました。

〝また、観覧車乗りにこようね。そしてまたじいじの話を沢山しょう〟

長女は〝うん、また乗りにこようね〟と言ってくれました。


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もう一つ長女と親父のお約束は、じいじの船に一緒に乗って博多湾を一周すること。

これは叶わなくなりましたが、お盆にじいじはいませんが親父の漁師仲間の方が乗せてくれそうなんで、それもこれから楽しみです。

 


長女やこのかは成長をしていきます。

 


もちろん、じいじの記憶も薄くなり、なくなっていくでしょうが、二人の成長を誰よりも楽しみにしていた親父のことはこれからぼくが子供たちに沢山話していきたいと思っています。

 


特に、このかには。

 


誰よりも1番大切に、それから気づかっていた親父でしたから。
昨年一度こちらに来たときは、タイミングよく医療センターで時間は短かったですが、抱いてあげられました。本当はもっと元気になったこのかをもう一度抱っこして欲しかったんですけどね。
だけどその分、母に抱っこしてもらいまーす!




以上が当時mixiでの日記です。
親父の事は、この日記に残そうか迷いましたけど残す事に決めました。

当時別のブログに親父が他界したのを書いていて、リンクも貼っていたのですがそのブログも閉鎖したので、リンクははぶかせていただきました。

 

自分にもこうやって、この様なことが起こるんだなぁって改めて思い知らされました。

〝親はいつまでも生きとらんとよ!〟

よく生前親父からも言われていた事なんですけど。

気が付いた時にはもういなかったです。

ノンちゃんは、今でもじいじの写真を見せると、〝福岡のじいじ~っ〟って憶えてくれています。

あれから福岡に帰省したときは、観覧車に乗ってるんですよ~。

もちろん、じいじも一緒に。

最近はなかなかみんなで帰れていないから、のんちゃんと僕と。

昨年は、ノンちゃん緊急入院だったので僕一人で帰りましたけど。

もちろん観覧車は乗らなかったです。

 

 

一人でおじさんが観覧車!!

 

 

怪しくないですか(笑)

 

 

僕には、その勇気が無かったです(涙)

2012/06/05

大変ご無沙汰しておりました。

つぶやき以降の更新になりましたが、あれから食欲も戻りまたふっくらたくましく育ってます!



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突発性発疹。ほんと、経過や症状って違うんですね~っ。長女の時とは全然違い、食欲もないし、熱も上がりっぱなしだし、発疹の出方も全然違いました。

突発の時は食欲もなかったので少し体重もおちましたが、熱も下がって全身にコレでもかっ!!て位、発疹が出始めてからは離乳食をコレでもか!!って位食べてます。
おかげで、今は〝ブラマヨの小杉〟になってますよ。ヒーハー。



昨日はノンちゃん、二回目の不活化ポリオの日。

 


近くの自由が丘にあるクリニックに行きました。
そしたら、〝突発やってからまだ二週間しかたってないので今日は出来ませんね~っ〟との事 涙。
うぁーっ、全然気づきもしないし、気にしてもなかったです。
聞くと、突発後2週間はあけたほうがいいとの話でした。
なので、来週で~す。
ちゃんと確認しておけばよかったです、不注意でした~。

ちょっとテンションも下がりぎみだったので、上げようと、〝お寿司でも食べようか!〟と言うと奥さんも長女もおおはしゃぎで賛成。
近くに美味しい回転寿司があるのでそこに決めました。
本当にここの回転寿司は美味いんです。
魚にはうるさい漁師の息子のぼくが言っているので間違いない。
奥さんは大好きなマグロとエンガワを、長女はイナリと納豆まき、鉄火まきをお腹いっぱい食べてました。

なんか久しぶりに家族みんなで外食して、とっても良かったです。

最近ではなかなかみんなで外食ってありませんでしたからね、どうしても子供2人ってなるとファミレスとかになってしまうんです。
なかなかお店選ぶのも大変ですもんね~っ。




それから、今月はじめの外来でこのかの体の調子もいいみたいです。

その時に担当医師から言われたのが、この調子だと来年の1月、ちょうどグレン終わってから1年後にフォンタンを考えていると言われました。
そんな事を伝えられると、なんかまた身がしまる思いですが、また先が見えて少し安心しました。

でも、なんかあれですね。

元気なこのかを見ていると、心疾患である事を忘れてしまう時があります。
だからちょっと気を抜いてしまいます。 
いかん事ですね~っ。

グレン終わって、安心している気持ちがあったんです。
元気に過ごせている事に対して嬉しいですが、やっぱりまだ先があるってことを忘れてはいけないと奥さんと二人で感じました。
なんだか上手く言えていないでスイマセン。


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それから、来月でこのかも1歳になります。

そう思うと、長いようで早かった、ドタバタな1年だったなぁ~って感じます。
それから、子供の成長も〝早っ!〟って、このかが産まれてから今までの写真を見返していると感じます。

そんな実感をこれからもみんなでしていくんだろうな~っ。 

またいろんな報告や出来事、マメに更新していきますね。

 

 

以上が当時mixiでの日記です。

この時期誰もがかかりますよね~っ。

 

突発性発疹

 

なんだかんだで、ノンちゃんは2回もかかっちゃいました。

だからではないですが、なんとなぁーく〝突発かな?〟って分かってきますよね。

不思議と。

この頃はまだ体の事の方が心配だったので、アワアワしてました(笑)

それから〝不活化ワクチン〟。

この頃はまだ保険がきかなかったです(涙)

その後、保険がきくようになりましたから今は何かと安心ですよね!

うちの場合〝ポリオ〟でも良かったのですが、副作用の死亡事故など気になって、〝不活化〟にしました。

 

あと、日記に出ていた自由が丘の回転寿司。

最近行けてないのですが、魚の鮮度が変ってなければ美味しいはずです。

https://tabelog.com/tokyo/A1317/A131703/13127029/

〝ぎょしん 自由が丘店〟

食べろログのリンクを貼っているので気になった方は、どーぞー。

意外と〝ひかりもの〟美味いです。

あと、ぼくは必ず〝生のりの味噌汁〟飲みます。

他にも自由が丘は美味しいてんぷら屋さんとか、美味しい韓国料理屋さんとかいっぱいあるんですが、日記とはかけ離れるんで止めときます(笑)

2012/04/07

たいへんご無沙汰していました。



少し仕事の方でバタバタとしてまして、ようやく日記に書くことが出来ます。



あれから、次女のこのかは順調に毎日を過ごしていますよ!
先月の外来では、〝体重増えすぎです!〟と担当医に言われました。
特別食事の制限はないのですが、まだ急に増やすのは負担がかかるみたいですね。
でも、よく飲むんです。
しかも、下の歯が二本生えてきてからは離乳食が美味しいみたいで〝もっとくれ~!〟といわんばかりにバクバク食べてます。
以前とは比べものにならないくらいパンパンしてます。
次の外来でなんて言われるか心配です 笑。

ですが、ほんとグレン終わってからの食欲は半端じゃないですね~。
だから体重も増えるんですが。
それから、グレン前は手足が冷たかったんですが、終わってからは少しづつ冷えなくなってきました。
泣き声もだんだん大きくなりますね。でも相変わらず長く泣くとまだ唇は紫色してます。


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そんな中、先週の月曜日にとっても天気が良かったので、人形町にある水天宮へお礼参りへみんなで行ってきました。

もっと早く行きたかったんですが、ちょっと今年は寒くてこのタイミング。
このかは、まったくなんにも解っていないようで終始〝ここはどこ~っ、なにしてるの~?〟的な顔をしていましたが、長女はすっかりテンションも上がり、すべてのお賽銭箱にお金をいれ、すべての鈴を鳴らし、すべての神様に手を合わせていました。
意味は程よく理解しているんでしょうけど、半分楽しさの方がまだ強いですかね~っ。
帰りにいつものように人形焼を買って帰り、お家でみんなで食べました。
久しぶりに食べると意外と美味しいのでビックリ!
あっという間になくなりました。


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それからこの間、このかがしきりに耳を触っているので〝ひょっとして?〟と思い、奥さんが耳鼻科に連れて行ったら、やっぱり中耳炎になってました。

しかも両耳 涙。

また当分ぼくの休みは通院でつぶれてしまうのです。




長女は通っている保育園も進級して、まだ前と違った環境に慣れず、時々〝保育園行きたくない病〟が出ています。 
自分も覚えがあるので、長女の気持ちは解らなくはないですけどね。
慣れるまでのしんぼうですね~。



このかがお世話になっているこども医療センターも3月で先生方の移動がありましたね。
循環器は半分は変ったんではないでしょうか?
このかもY先生に変りました。
次回の外来からになります。
個人的な意見ですが、ぼくも奥さんもY先生は好きなんでちょっと安心してます。



さて、来週はみんなでお花見に行ってきますよ!
多分多摩川あたりになりますが、今から楽しみです。


 

以上が当時mixiでの日記です。

前回の日記から2ヶ月も経っている。

グレンも終わり、何事もなければ次のフォンタンまでは普段と変わらない生活が続きます。

 

この頃ののんちゃん。

爆食いです(笑)

同じ歳の子に比べたら小さいから沢山食べてくれるのは嬉しいですよね〜。

それから日記にも書いてますが、泣き声が大きくなった!

知ってますか?

心疾患の赤ちゃんは、〝泣かせちゃダメ〟なんですよ(泣)

赤ちゃんはが泣くのは当然の事、泣いて教えてくれる。

でも、泣かせちゃダメ。

 

 

絶対ムリ〜!

 

 

なので極力泣いても泣き止む様に心がけながら接していたのを覚えてます。

先天性心疾患の場合、泣くと心臓に負担がかかります。

けど、その後のオペや治療が進むにつれて負担も軽減されるので、その心配もなくなっていきます。

産まれたばかりの頃は、泣いても泣き声が小ちゃいんです。

きっとそれだけキツイんだと思います。

それが治療が進むにつれて泣き声も大きくなり、声にハリも出てきます。

 

それからお宮参りですが、ウチは人形町の水天宮に行ってます。

長女も同じですよ。

だから長女も着ていたチロリアンのワンピースを着せて行きました。

ですが、手術後なんで髪の毛が抜けて短い(泣)

もちろん今は、ボーボーに生えてますけどね〜。

2012/02/09

おかげさまでこのかも昨日無事に退院できました~。

 

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6日の月曜日はぼくも休みだったので久しぶりに3人でこども医療センターにいきました。
はじめに奥さんがHCU2に行きぼくと長女は待合で待っていると、3分位で奥さんが戻ってきて、〝明後日退院だって〟。
ぼくは、〝えっ!!〟です。
まぁ、いつものパターンのやつなんでなれてしまいましたが、そんな感じでいつもある日突然言われます 涙。

脈も肺の血圧もサチュも問題なく、まだ乳びは今後の経過をみながらMCTと、もちろん制限もあり1日340mlまでらしい。
その日はぼくも長女も風邪気味だったので窓越し面会しました。 
少し痩せてスリムになったこのかちん。
絶食や水分制限あっても約700gしか落ちてないですが、手術前のコロコロ感はありませんでした。
面会の最後の方でようやく笑ってくれたこのかはいつもの笑顔でした。



そして、昨日仕事から帰るといるんです。
当たり前ですが 笑。
〝ただいま~、このかちん!〟と言うと、このかは不思議そうにぼくの方をじーっと見てました。
〝ひょっとして忘れてしまったかかなぁ~っ?
このかは長女を見るときもじーっと見ています。
またじょじょになれていくのかな~っと、でも手術前の〝人見知り〟は残っているらしく、ぼくが抱っこするとウァ~っと泣きます。
これもまたぼくにとっては試練です。
気長に待ちます。
それから、奥さんの話がとても嬉しかったので書きますね。
このかをつれて保育園に長女を迎えにいったとき、長女が〝このかちゃんいるの~?〟と顔を覗き込んだそうです。
奥さんが〝うん、いるよ。今帰ってきたよ。〟と言うと、長女がすこぶる笑顔で〝このかちゃん、お帰り~っ!〟と言った言葉を聞いて、奥さんはその言葉に感動して家まで号泣して帰ったそうです。
長女は3歳、解っていないようだけど彼女なりに理解していたんですね
それを聞いて、思わず長女を抱きしめてしまいました。
親ばかですね。




今回の手術で入院をしていた時に、奥さんはたくさんのママともができたそうです。
今までには無かったのですが、今回はなぜか同じ部屋の方たちや部屋が変っても話をしたり、心配してくれる方がいらっしゃったみたいでその方たちと沢山の情報交換やおしゃべり、家庭の事など話ができてとても嬉しかったとニコニコで話してくれました。
もちろんメルアドも交換してコミュニケーションをとっているみたい。
そんなステキナお友達もできたこのグレン手術でした。
さぁ、あとはフォンタンめざしてみんなでがんばっていきま~す。


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ほんとうにいつも応援してくださる皆さんたちに感謝です。 
ありがとうございます!


 

 

 

以上が当時mixiでの日記です。

グレン後14日で無事に退院できました!

 

初めの写真は、グレンのオペ前の写真。

人中、長っ(笑)

最後の写真は、グレン後の写真です。

約700g体重が減るだけで顔が違うもんですね~。

退院後は、ほぼ内科的治療が基本で、月に一度外来があります。

グレン後でも薬の影響で、むくみやすかったりお腹が少し出ていたりします。

これもフォンタン後でも続いていきます。

 

それから心臓ですが先天性心疾患の場合、生まれたばかりの頃の心臓は普通の心臓よりは大きいらしいです。

その理由としては、血液の循環が悪い事、それから心臓内で血液が交じり合う事や血液に十分な酸素が溶け込んでいないため心臓が通常のサイズだと心臓自体の機能が補えない為に心臓が大きくなるとのこと。

それが、オペを受けその疾患の症状が改善されると徐々に普通のサイズに戻る。

 

凄いですよね!

 

これを始めて担当医に聞いた時ビックリしました。

勉強はしていても、知らないことだらけです。

 

それから、入院中仲良くなった方たちとはその後のカテの時に同じタイミングだったり、フォンタンの時に病室が同じだったりしました。

なんて偶然。

と思いきや、グレンの時期が同じだとフォンタンもだいたい同じ時期ですよね~。

心疾患繋がりで、こうしてお友達も増えてとても嬉しいのですが、その分色んなお話を聞いたり、耳にしたりしました。

それは、今でもそうなんですけどね。

このかは、今もこうして無事にいる。

けどね、って事がこの病気を通してたくさん見たし、聞きました。

ちょっとそんな僕の思いも含めて、気持ちの整理がついたらこの日記に書こうと思います。