ka-noneの日記

先天性心疾患で産まれた娘の成長を2011年~2018年4月まで書きました。2019年から日記を再開しています。

2011/12/01

このかが無事に退院してきてからは調子も戻り、ミルクの量も増えてきてよく笑顔を見せてくれます。
体重も4000gになりました!
この間の外来では、12月~1月でグレンをやりたいみたいです。その理由の1つに生後半年以内でグレンをやらないとチアノーゼがひどくなると担当医師に言われたと、うちの奥さんが言ってました。


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今回のカテのことで感じることは、病院、医師とぼくら患者の親が思っていることはまったく違うところがあるということです。
良くも悪くもここに書こうと思います。
今回のカテは、太ももからの挿入が困難として、右内頸静脈からのカテーテル穿刺になりました。
カテーテル挿入の前にシースを挿入して確認をした際に異常がみられ、検査をしたところ、そのシースが血管にではなく、脊髄のくも膜下腔に入っていることが確認されたので、一時中断してシースはそのままでICUへ運ばれました。
その後、MRI,CTでの検査をして、シースが脊髄のどこまで入っているのかを確認して、脳神経外科の医師と相談を重ねたうえで、ようやくシース、ガイドワイヤーを抜去、圧迫止血を行い、無事に終了しました。
その後の4日間の間、ICUで、MRI、CTなどでの検査やこのかの症状などで、髄液の漏れ、出血などは確認できず問題はありませんでした。
それから麻痺ですが、脊髄を損傷している可能性が高いとして、担当医からは両腕が動かなくなる確立が高いと説明があり、これもICUで経過を見ていましたが、今のところは麻痺は認められないとして、ICUからハイケアに移り、経過をみて無事に退院することになりました。




担当医師からの説明は今回の〝内頸静脈でのシースの誤挿入〟は、まれに起きる『合併症』で1~11%の確立で起きているそうです。
それは解るのですが、これって『合併症』ですか?
と親としては感じるわけです。
しかも今は動いていますが、これからこのかが成長していく過程で麻痺も出てくるかもしれない。
担当医師からも〝まだ手や腕の動きも成長過程なので、成長と共に見ていかないと解らないので見させてください。今のところ麻痺がでるのか出ないのかは判断できないので。〟と言っていました。
親としてはとっても不安なんです。
先天性心疾患で産まれて来て、それだけでもこれから大変なのに、これからもうひとつ、〝麻痺〟という不安をこの子に背負わせるのは正直やり切れません。
そんなことがあり、今病院側とのやり取りがつづいています。
たくさんやり方がありますが、できれば納得のいくやり取りが望ましいです。
ですが、ぼくもいろいろ調べたり問い合わせてみたのですが、難しい部分もあるみたいですね。
だから、最後まで見てやろうと思っています。
そのやり取りの中での『嫌な部分』というものを。




シース誤挿入の時に早めの判断、それからシースの抜去。その後のこのかへの処置。
それから、ハイケアに移ってからの病室や看護師サンたちのこのかへの対応。
凄く気を使っていただきました。
そのことはありがたかったです。
だけど、ぼくらはまだ納得できていないところがあります。
それは、『合併症』そのもの意味合い。
それから、インフォームドコンセント




今回の事でわかったことですが、むやみに任せるだけでなく何かが起こったとき、起こりうる時での十分な役割をはたす内容の確認をしていくべきだったことは、ぼくらは反省すべき点です。
だけど、親は100%その病院や担当医を信じて預けているわけです。
それから、今回のような『合併症』は起こしてもいいものではけしてないとぼくらは感じています。
〝さまざまな形で守られている部分〟がありますが、これ以降このような〝シースの誤挿入〟や、他のさまざまな起こりうる確率の低い『この合併症』がこの病院でも、他の病院でもけして起こらないような傾向と対策をしっかりとやっていって欲しいと心から願います。




本当にいろんな意味で、カテって難しいですね。
今回のことに関して正直な気持ちを書きました。(もちろんすべてではないです。)
これを読んでいただいた方はさまざまな感じ方があると思います。
それをどうこうなどとも思っていません。
ですが、先天性心疾患のこどもを持つ親として子供、親と医師、病院とはどうあるべきなのか?
それは今後の課題でもあるし、多分永遠に続く課題だとも思っています。
それから、このようなことが起こりうるということをこの日記にただ残しておきたかっただけです。

気分を害された方がいらっしいましたら大変申し訳ありません。

読んでいただいてありがとうございました。

 

 

以上が当時のmixiでの日記です。

この〝シース誤挿入〟は、自力で調べたところ、2009年の山梨で同じような事があったとPDFに記されています。

ちょっと専門的なファイルなんで難しいかも知れませんが貼っておくのでぜひご覧になってください。

 

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsca/29/4/29_4_480/_pdf

 

ほぼ、このかと同じです。

ファイルにも書いてありますが、大腿動脈(太腿の内側の部分)へシースを挿入したけど、静脈閉塞のため頸静脈(首の付け根の部分)からのアプローチとなったと。

ではなぜ両方の静脈が閉塞(塞がっている状態)しているのか?

これは個人的にお聞きしたりした上での見解ですが、前のオペなどでその静脈をたくさん使って、使いすぎたために血管自体の隙間がほとんど無く、潰れている状態になるからなんです。

だからその血管自体検査には使えなみたいです。

後は、グレンのオペに対してのカテなので頸静脈からのアプローチになったのではないかと?

 

この事が起きた日、僕は仕事でサロンにいました。奥さんから泣きながらサロンに電話がありましたが、ほとんど自力で話せなかったので看護師さんが代わってくれてこれまでの経緯を説明してくれました。その説明の間ずっと奥さんの泣いている声が聞こえていたのを今でも覚えてます。それから仕事をしていた僕はすぐ仕事を切り上げ病院へ。

それから担当循環器医師の説明と話しをしました。

たくさんぶつけたい事ありましたけど、僕は初めに担当医にこう問いかけました。

 

 

〝S先生はお子さんいらっしゃいますか?〟

 

〝もし自分のお子さんがこんな事されたら、親としてどう感じますか?〟

 

僕は素直に医師として、では無く同じ親としてどう感じるのか聞いてみたかったんですが、S医師はなにも答えず只々、申し訳ありません。

と僕らに言ってました。

その話し合いの間ずっとも奥さんは泣いてました。

きっと早くこのかに会いたくて、このかが心配で、この先のこのかがどうなるのか?

それは僕も同じです。

それからこのかに面会できたのは3時間後でした。

 

それからは治療を続けながらでの病院側とのやり取りが続きました。

けど、窓口は保健福祉さん。

〝にゃろー!〟

って何度も思いましたけど、なかなか責任者と直接話はできませんでした。

だから、僕たちはこの事で感じた事、これからこのかに対してやって欲しい事、それからこれからもう二度とこんな事が起きない様にと病院に対して書いた文章を書きました。

それからもう一つ。

循環器担当医S医師をこれからもこのかの担当医にしてもらう事。

 

〝おかしい〟

 

と感じるかもしれませんが、僕らの決断はこれからもこのかを責任持ってみて欲しいと感じたからです。

それと同時に、S医師以外にもう一人担当医を付けてもらう事。

ですが残念ながらよく年の2月にそのS医師は他の病院に配属になり居なくなってしまいました。

病院からは何も知らされないでS医師が居なくなったので、僕らはS医師に手紙を書き病院側に渡してもらいたくお願いしました。

 

それから、病院側とのやり取りの一つで今でも覚えてる事があります。

 

HCUのこのかの病室に皆んなが集まり話しをしていた時です。

当時の循環器の部長さんがこう言いました。

 

〝今回の合併症はこれで済んで良かったですね。死にはいたらなかった事が幸いです。〟

 

僕らには、〝死なずに済んで良かったですね、まだ生きているから心配ないですよ。〟と聞こえました。(そう聞こえる位、当時はそうとう頭にきてたんだと思います。)

正直、言葉が汚いけど、〝合併症じゃねえだろう!お前らがやった事だろ!〟って言いたかった。

でも、堪えた。

だから気付いたら口の中が切れて血の味がした。

それくらい悔しい思いでいっぱいだった事を覚えてます。

この事を身内や友人に話すと、〝訴えろ〟や〝病院変えた方が?〟と言われました。

だけどね。

訴えるのは簡単でしょ。

僕らは訴えて、保証してもらってとか頭ん中に無かったです。

 

まずは、今回の事が起きた事に対する事実を病院側が親身になって受け取りどう今後の対策を打ってくれるのか?が、大事な事って感じたんだよね。

後、訴えるっても裁判するのもこのかの手術が全て終わってからになるでしょう?

そんな〝たくさんの悔しさやわだかまり〟を抱えて生きるのは、正直イヤです。

それなら僕らが頑張って、病院側に訴えていく方が気持ちが落ち着きます。

もちろん、時間と労力は凄い使うけど。

結果は、次の日記に書いているので後日アップします。

相手はプロでしょ。

こっちは素人。

だから当時は大変でした。

やっぱり、なかなか知りたい情報を病院側は渡してはくれなかった。

だから、自力で調べたり他の人から話しを聞いたりして対応してたのを覚えてます。

この事以降、僕は〝合併症〟という言葉が嫌いになりました。