2013/06/18
先週、このかは退院しました!
前回の日記で随分と体調も戻り、胸水も減ってきて~っと言っていたんですがあの後、なんと熱が 涙。
3日~4日間39℃近くでて、のんちゃんはと言うと〝う~ん!う~ん!〟と苦しそうにグッタリしてました。
今月の始めに、長女と実家の福岡へ帰る予定だったんですが、この調子ならキャンセル~っ!?と思って、実家の母にも一応連絡。
そしたら、熱も平熱に、胸水もレントゲンでは影も形も。
退院の話が出だしたので、僕は長女と福岡へ帰りました。
でもね、やっぱり心配だったから実家にいた時も奥さんと連絡とりながら状態の確認をしてました。
それで、実家最終日に奥さんから〝退院の日が決まったよ!〟と連絡がありちょっと安心。
ほんと解らないもんですね~。
おうちに帰ってからのノンちゃんは、すこぶる元気でこんなに動き回って大丈夫?っていう位動き回って、〝グァ~、グァ~〟っておしゃべりしていました。
チョ~、ご機嫌!
やっぱり、お家やみんなといるのが一番。
そんなこんなで、昨日は循環器の外来で僕と、長女、ノンちゃん3人で医療センターへ行ってきました。
心電図、レントゲン、そして久しぶりの身体測定。
すると、体重が!
戻っている~っ。
が、しかし8㌔、身長も75cm。
が、しかしノンちゃん少し足が短い~。
順番待って、Y医師とお話。
レントゲンも心電図も問題は今のところないらしい。
やっぱり、原因は肺高血圧かもと。
でもそれは、カテしてみないと詳しいことは解らないとの話でした。
それから、あまりあいだを開けないで当分は外来になります。
利尿剤も本当に少しづつ減らす方向で。
受診している最中、とうのノンは初めて泣かないで、嫌がらないで、しかも笑顔でY医師と対面してました~っ。
ほんと、初です!
受診も終わり、遅めの昼食を買いに一階のローソンへ。
長女がノンちゃんと手をつないで、一緒に歩いているじぁないですか~。
なんか見ていると、嬉しくなってしまったと同時に、二人共もうこんな歳になったんだなぁって。
一番は、長女がたくましいく感じました。
今までこんなことはなかったし、自分からだなんて、ほんと嬉しい。
そんな光景もつかの間~。
長女がつまずいて転んだと同時に、ノンちゃんまでが。
長女は大丈夫でしたが、ノンちゃんはおでこを床に打ってしまってタンコブが~っ 涙。
すぐに冷えピタで冷やしてましたが、すぐに泣き止んで後はモグモグとおにぎりとパンをほうばってました。
このかは長女と違ってなんだか強いんです!
もちろん負けん気も強く、長女はいつも負けています(笑)
今回のような事を防ぐためにも、感染には十分注意をしていかないといけないですね。
心外の先生、循環器の先生にも言われたけど、保育園で何かしらの感染症が流行ったときは登園を休む事ものんちゃんには必要。
やっぱり、一番辛くてさみしい思いをさせるのはこのかですから。
そんな話を帰ってから奥さんと話しました。
もちろん、このことも保育園には伝えて、お願い。
感染症が流行ってしまった場合は風邪でもすぐ教えてくれるようにしました。
後は、来年のカテまで無事にお家で過ごせるように努力していかないといけないですね!
ちなみに、今日は登園したときはガン泣きされました 涙。
最後に、入院中に仕事が終わって毎日の様に通ってましたが、病室には沢山の子供達が入院してます。
うちの子供を含め、やっぱりお家が一番だと思うんです。
家族みんなと一緒にいる事。
それが、自分らしくいられる家ということも、そしてなにより自分の家と家族ということ。
一日も早く、みんな良くなっておうちに帰れますようにって本当に心から願っています。
以上が当時mixiでの日記です。
前回も書いてますが、当時と変らず同じ事を感じ、おもっているんだなぁって思いました。
この時期になるとこども医療センターは〝七夕〟一色になります。
院内のいたるところに短冊を吊るす竹が配置されてそこに思い思いの願い事を書いて結びます。
そこには、こどもたちのたくさんの願い事が。
こどもたちだけでなく、親も書きます。もちろん僕らも願い事を短冊に書いて結んでます。
当時はまだのんちゃんしゃべれないから、僕らが願い事を書きました。
今ではしゃべれるようになりましたが、まだ字が書けないので変りに書いて結んでいます。
この写真、ごく一部ですけど毎年いたるところにある竹の枝が見えなくなるくらい短冊がいっぱいになるんですよ。
それがとってもキレイで毎回写真を撮ってはインスタに上げています。
お願い事のほとんどが、〝早く退院できますように〟や〝無事に手術が終わりますように〟や〝○○ちゃんと一緒に遊べますように〟などの願いがひとつひとつ込められています。
もちろんこれだけではなく、こども医療センターは毎年色んな事をやっているんですよ!
一番は、クリスマス。
毎年どでかいツリーを飾り、オーナメントも手作りで毎年違います。
それからピエロも来たりします。
風船で動物作って、子供たちにあげたり手品したり。病室にも行って手品や風船を作って子供たちを楽しませてくれるんですよ!
それから、こども医療センターには〝ベイリー〟というゴールデンがいます。
え!
病院に犬って思うでしょ?
ベイリーはファシリティドッグです。
この取り組みは数年前から行われています。
神奈川県立こども医療センターのリンクを貼っているのでご覧下さい。
ね、ステキな取り組みでしょ!
この取り組みは、2010年に静岡県立こども医療センターで開始されて、2012年からこの神奈川県立こども医療センターで緩和ケアチームの一員として活動を開始しました。
ファシリティドッグ、調べると欧米では積極的に取り入れている病院もあるみたいですよね!
このファシリティドッグのハンドラーはボランティアでなく臨床経験のある看護師さんなんですよ。
これもすごいし、徹底してるな~。
もうかれこれ6年通っていますが、〝ベイリー〟と出会えたのは2~3回くらいです。
それだけベイリーは大忙しなんだろうと思います。
この日本では、2頭だけです。
もう一頭は静岡の〝ヨギ〟。
ご興味のある方は調べてみてくださいね~。
これからファシリティドッグ達、増えるといいなぁ!
それから、昨年その写真集も出たんです!
ファシリティドッグ写真集の購入はこちら « シャイン・オン!キッズ - 小児がん、重い病気と闘う子どもたちと家族の支援のために
こちらのリンクを貼っているのでご覧下さい。
もちろん院内のローソンにも売ってます。
ゴールデン好きな方、ぜひ!
この写真集は〝シャイン・オン・キッズ〟10周年記念の一環として発売されました。
この〝シャイン・オン・キッズ〟は、小児ガンや重い病気と闘う子供たちと家族の支援のためのNPO法人です。
シャイン・オン!キッズ - 小児がん、重い病気と闘う子どもたちと家族の支援のために
上にリンクを貼っているのでご覧下さい。
2013/06/04
大変報告が遅れてしまいました。
つぶやきにコメント頂いてありがとうございました!
昨日は、お休みだったので一日、このかのところへ行ってきました。
ずいぶんと顔色も良くなり、呼吸もサチュレーションも安定。
自分で起き上がることもできて、食欲も戻ってきています。
フォンタン終わって入院は二回目。
初めは、4月の終わり。
その時は、風邪をこじらせて入院。
色んな検査をしながら特に異常は見られなかったので、20日で退院したんですが、その時はあまり食欲もなく、脱水を起こさないように点滴をやっていたので、退院したときは随分と体重も落ちてました。
退院後、おうちに帰ればまた食欲も戻ってくるだろうって思っていたんですが、この時はあまり食べなかったです 涙。
それから、また保育園に登園するようになってすぐにもらったみたいです。
ロタウィルス。
近くの日医大で治療していましたが、なんか抜けても機嫌が悪くて、ある日の朝顔色がすごく悪くて、呼吸する胸の動きも今までとは違ったんです。
すぐ医療センターに電話して、夕方から受診しました。
その日の夕方にお店に奥さんから電話がありそのまま入院。
一度目の退院後、このかは気管支炎を患っていてそれが長く続いたのが一番の原因で、レントゲンを撮ったら両方の胸水がけっこう溜まっていたから心不全を起こしたのだろうと担当のY医師がおっしゃってました。
一週間前の外来では出てなかったのに、かなりのスピードで胸水が溜まっていたのを確認したY医師もビックリしたいたみたいです。
心臓もけっこう大きくなっていたみたいですね。
あ~っ、のんちゃん辛かったんだろうと奥さんと一緒に悔やんでました。
それから、胸水を直接抜くことも言われていたんですが、心臓を強くするお薬を点滴でいれ続けて、昨日の時点で胸水も減ってきたみたいで来週くらいで退院出来るかもしれない位になりました。
嬉しっ!
奥さんとも言っていたんですが、フォンタン終わったからって安心ではないんですよね。
まだまだ気を付けないといけないと事が沢山ある。
これも親の身勝手な考えですね。
深く反省しました。
なにより、このかに苦しい思いやさみしい思いをさせてしまっています。
だから、ぼくは今回の入院でかなり凹みました。
そのことは今でも引きずっています。
早く、のんちゃん帰ってこないかなぁ~っ
そういえば、今月の初めにミッドタウンでやっている〝デザイン あ 展〟にみんなでいってきました。
娘たち二人ともとっても楽しかったみたいできゃっきゃ言ってました。
楽しかったけど、この後3日後入院だったんですよねぇ。
これも反省。
まだまだいろんなことがあると思うけど、もっとのんちゃんのこと考えてあげないとなぁ~っ。
彼女が一番辛いもんね。
親としてまだまだ甘ちゃんです。
以上が当時mixiでの日記です。
内部疾患、気付きづらいんです。
しっかり見ていたとしても、結果入院ってなると親の責任です。
先天性心疾患の場合、それがただの風邪でもこじらすと心不全になります。
それから普通の乳児や幼児はかかりにくいんですが、〝RSウイルス〟もかかると危険です。
この〝RSウイルス〟はまた後日この日記で投稿します。
だって、
のんちゃん、
かかっちゃいましたから(涙)。
シナジスしたのに~。
フォンタンも終わり、ひとだんらくするとやっぱりのんちゃん連れてお出かけしたくなるんですよね。
生まれてから今までほとんど病院でしか過ごしていないから、今まで見たり、触ったり、遊んだりしてなかった分、お出かけしたくなります。
だから、この時期もよくみんなでお出かけしてました。
だけど、注意不足でした。
入院中の時によく担当医とその症状についてたくさん教えてもらいメモしました。
ネットでも出てきますが、全てではなかったり、間違っていたりするんですよ。
だから直接担当医にありとあらゆるケースを聞きました。
それでも、また入院ってあるんです。
その辺が当時は読めないし、気付きにくかったのがあります。
入院すると、お家に帰れないしみんなと一緒ではないのでのんちゃんは寂しいし悲しがります。
一番は、お家にいてみんなと一緒がいいに決まってます。
仕事終わりや休みの日に面会に行くと凄く喜びます!
でも面会時間終わるのが22時なので、別れる時はガン泣きされて担当の看護師さんに任せて帰ります。これが毎日続くと心が痛いので、強引にでも寝かしつけて寝たのを見計らって病室をでるんですけど、これがなかなかうまくいく時と行かない時があります。
寝たな~って、そーっと帰ろうとするとのんちゃんの目がこっちを見ている。
てな事もありました。
もちろんのんちゃんだけでなく、HCUに入院している子供たちもみんな一緒です。
そこらじゅうで鳴き声とあやす言葉が飛び交います。
だから、いつもHCUに行った時は、〝みんな早く元気になってお家に帰れますように。〟ってお願いしてHCUを出ます。
子供たちみんな何かを抱えて入院しています。
子供たちはお家が一番に決まっています。
お父さんやお母さんやご兄弟と一緒にいるのが一番に決まっています。
今はおかげさまでHCUに行く事がありませんが、今も入院している子供たちがたくさんいます。
〝みんな早く良くなってお家に帰れますように〟。
2013/04/13
保育園決まりました~っ!
今の保育園に通える様になるまでいろいろありました 涙。
予想以上に厳しいし、僕らの認識も甘かったです。
その度に悔しい思いをしました。
改めて周りの、それから保育園の心疾患を持つこどもの認識というものがどんなものか思い知らされた感じです。
ほとんどの保育園は、じっくりと話すら聞いてもらえない状況だし、区の支援課の方も話にならないから直接神奈川県に問い合わせしたり、〝噛み付いたり〟してみたんですが、納得のいく回答は最後までもらえませんでした。
そんな時に、前に長女が通っていた保育園にイチかバチか駆け込んだら、園長先生は僕らのことを覚えててくれたみたいで沢山話を聞いてくれました。
その時に、〝なんでもっと早くきてくれなかったの!知らない仲ではないでしょ。〟と言っていただけました。
このかのことは知っていたみたいで、これまでの話を園長先生にしたら〝すべてが甘い、もっと早く動かないと決まるものも決まらないよ。それから、これからは自分たちだけでなんとかしようと思わないで、もっと周りに頼ったり、味方を作らないといけないね。今以上にこのかちゃんの事をわかってくれる人達を作らないと守るものも守れないから。(以下省略)〟と言ってもらえたそうです。
本当に感謝です!
そんな話を奥さんに聞かされて、二人で今までのこと、これからのことを沢山話しました。
全ては、このかの為に一番を。
4月1日から登園しました!
予想通り、いっぱいいっぱい彼女は泣いていました。
それでも、4日過ぎ位には少しなれたみたいで外で遊ぶのが楽しかったり、ご飯をモリモリ食べたり、大好きな車のおもちゃをおして歩いていたりしているみたいで、たまに思い出したかのように泣いている時間もあるそうです。
でもまだまだ、登園するときはさみしいのか号泣しています。
これから彼女も沢山のお友達や先生方に触れ合う事で、どんどん培っていくものがあると思います。
今までは、病院とお家しかいなかったから。
そこから学んでいくもの、もらうもの、いいことも良くないこともすべて彼女にとっては初めてなんだろうなぁ~。
少しづつでもいいから力強く育ってほしい。
そんなことを奥さんと話しています。
そんな感じのこのかですが、今は医療センターにいます 涙。
今のところ状況を見ながらの治療をしていますが、どうやらウィルスなのかは解らないのですが、体のどこかが炎症を起こしているらしいんです。
それが、肺なのか?気管支なのか?胸の傷なのか?
まだ様子見です。
症状も軽く、早く退院できるといいんですけどね。
またその後の経過がわかりましたらお知らせします。
以上が当時のmixiでの日記です。
今週のニュースでも保育園入れなくてこの先の不安が沢山書かれていましたよね。
全国の待機児童は約9万人。
国もそうですが各自治体が動いていると思うんだけど追いついてないですよね。
幼稚園ですら入れない所もある位です。
そこには様々な問題があります。
詳しく書ききれないですが、僕らの事を少し書きますね。
長女は保育園に通っています。二人目なら同じ保育園に入りやすいって聞きました。
でも結果はダメでした。
そこから探すとなると無認可しかありません。
それから数十件電話をかけてお話を聞いたりこのかの事を話しました。
そのすべての無認可保育園は、入れる枠があり後日電話での返答でしたがすべて断られました。
無認可の場合、決めるのは区ではなく保育園なんですよ。
〝何で?〟と、理由を聞いても言ってくれなかったり、直で心臓病が!と言われた保育園もあります。
もちろん、心臓病に関する資料やこのかの病状、薬、食べれない食材やケガをした時の対処など全てそろえて、持って行ったんですが撃沈(涙)。
そんな事もあり、奥さんは他の無認可を探しながら僕は区役所いって噛み付いてました!
区役所には、児童支援科があります。
そこで、たくさん話しました。
でも区役所は、〝そこは保育園が決める事ですから〟とか納得のいかない事言われたり。
中には、〝こちらでも問い合わせて聞いてご連絡差し上げますね。〟って職員さんも。
やっぱりそこも人ですね!
担当してくれる方が少しでも動いてくれるのか、聞くだけで動いてくれないのか、別れます。
それから日記にも書いてましたが、長女を前に預けていた無認可保育園にのんちゃんを預けることができました。
知っている方も多いと思いますが、無認可だと月17万~20万位かかります。
もちろん延長や休日保育入れるとそれ以上です。
僕らにとってその保育園に入れるだけでもすごくありがたいことでした。
そこで半年間のんちゃんは過ごして今の認可保育園、長女と同じ保育園に入園することができました。
もちろんのんちゃんが入園する前の園長先生とこのかの病気の事、それから心臓病に関しての資料を持っていきました。
今の保育園に入園する前に区が決めている病院で健康診断を受けないといけなかったので、その病院に受診して診断書を書いてもらい保育園に持っていきました。
それからは、通院の事やカテで休む事、緊急で入院した時の連絡など先に伝えて、また何かあればそのつど伝えるようにしています。
前の日記にも書いてましたが、横浜に〝こぐま園〟がありますけど、遠くてとても毎日通えません。
これは今でもそうですが、欧米諸国みたいに〝内部疾患専門の保育園〟増えるといいなぁって思ってます。
ですがそれも保育園の事調べると難しいみたいですね~。
なかなか看護師が常勤することはないし、今の保育園でも看護師さんがいる保育園なんかほとんどない。
それを実現させるためには、整備も必要だし法改正も必要でしょ?
まずは管理体制を一本化して欲しいですよね。
文部科学省→幼稚園。
厚生省→保育園。
しってましたか?
詳しく書くと長~くなるんでこの辺にしときます。
僕らもそうでしたけど、親ががんばりすぎちゃうんです。
だって頼る場所がない。
地元に住んでいたり、両親と同居はしていませんから僕らでなんとかしないといけないって思ってしまう。
だからぶっちゃけ自分の親や兄弟にも話はしません。
そうすると精神がすこしづつおかしくなっていきます。
なぜならすべてがうまくいかないからです。
がんばってもがんばってもうまくいかない。
そんな時に誰かがきっと手を差し伸べてくれたり、その方法を教えてくれたりしてくれます。
それが当時の園長先生。
〝この子の為に〟と思ってやっていたり、動いていたりしていた事が違っていたりします。
それを僕らに教えてくれて気づかせてくれたのもその園長先生でした。
僕らは自分で選んで実家には戻らづここに住んで働いています。
自分達が選んだ環境ですから、今でも自分たちでという気持ちはありますけど、当時より今はこうして両親や兄弟、それから友達にも話せるようになりました。
やっぱり子供って凄いですね~。
色んなことを教えてくれるし気付かせてくれる。
今でもそうですけど、出会いにも感謝です。
2013/03/06
先週発注していたプロテクターがおうちに届きました~。
箱を開けてみたら、メッセージとプロテクターと一緒に同じ色のピンクのくまさん!
ちょっとビックリしました。
今週の心外の外来でプロテクターを初装着。
あれから3日経ちますが、このかは嫌がらないで着ています。
プロテクターを僕はまだ一度もこのかに着せたことがまだないので、今度奥さんに教えてもらおうと思っています。
前回までの外来で、今のところ順調なので心外の外来は次まで。
それからは循環器に移ります。
それから、次回からプロテクター外来も始まります。
後は、ワーファリン、アスピリンの量が少し減りました。
最近のこのかは、ちょっとアレルギーなのか鼻水が、サァーーーーーーっと流れてます。
奥さん曰く、〝花粉症!?〟
奥さんも僕も花粉症なんで、ひょっとしたら~って思ってます。
長女は、まだ診断されてないですが、決定確実ですね~っ。
そんなこんなで今我が家は、くしゃみ、鼻水サァーーーーーーーーーーーー。
と流れる毎日。
早く終わらないかな、この季節。
それから落ち着いたら書きますが、このかの保育園。
思ったより大変ですね。
僕らの準備や認識が甘かったです。
頑張ります!
以上が当時mixiでの日記です。
ぬいぐるみも一緒に届くなんてビックリしました!
しかも足の裏には、誕生日月が縫いこまれていて、今でものんちゃんと一緒に寝ています。
総合母子健康医療センターのリンクを貼っていますのでご覧下さい。
写真も載っているので解りやすいですよ。
のんちゃんプロテクターするとこんな感じで~す!
夜中の水分補給の時のもの。
この頃ののんちゃんはのどが渇くと、〝おたぁ~っ!(お茶)〟と叫んでました(笑)
2013/02/19
フォンタン後、退院して約1ヶ月になりました。
昨日の外来では特に問題はなく、毎週の外来はつづいてます。
最近のこのかといえば、元気にはしゃいでいます!
相変わらず、アンパンマンとバイキンマンのブロックが大好きみたいで、調子のいい時は口にかぶりついています(笑)
髪の毛も伸びてきて、そろそろ前髪切らないとやばい。
前々回の外来でプロテクターの相談をして早速注文をしました~。
色は黄緑が欲しかったんですが、色味がなんかちょっと~だったので、ピンクにしました。
未だ届かずですが、、、、。
それから、退院後にまた色々と調べたいこともあり、本やらWebやらでお勉強を始めたりしています。
改めて知るものもあり、〝へ~、そうだったんだ!〟というのもあります。
恥ずかしいですが、今更ながらに〝アスピリン〟と〝ワーファリン〟の違いなんかも知りましたけど。
ワーファリンも病院によって使い方が違うんですね~っ。
T医師曰く、〝ワーファリンはすぐ服用を辞めるところもあればある程度の年齢まで服用するところもあるし、場合によってはずーっとも、、、、、(以下省略)。〟
なんてことを言われるとまたいろいろ突っ込んで聴きたくなりますよね~。
たくさんありすぎてかけませんが、いっぱい聞いちゃいました。
後は、成人先天性心疾患の治療に関する事を少しづつですが頭にいれていってます。
まだまだ先のことなんでしょうけど、なんか色々と見えてくるところもありますね。
ちょっと気持ちが複雑になってしまう事柄も多いですが、これも今の現実なんでしょうね。だけどこれから先のことは解らない、前向きに今の彼女の事を考えてあげようと。
元気に、〝ぐぁ~っ、ぐぁ~っ!〟言っているこのかを見ていると感じますね。
なんか近況報告みたいになりましたが、来週は僕の母が上京してきます!
これでまた我が家は一週間賑やかになりまーす。
以上が当時mixiでの日記です。
術後退院したら毎週の外来が続きます。
毎週、東戸塚→医療センター行っていると東戸塚にも詳しくなって遊んだり、ついでに買い物したり、ご飯食べたりとしてました。
もちろんバスを途中下車して遅めのお昼食べたり。
それから外来後にそのまま電車に乗って鎌倉にも行ってました。
東戸塚から鎌倉はすこい近い!
家族みんな鎌倉好きなのでそれも楽しいプチ旅です。
それから、〝プロテクター〟。
なんで心疾患でプロテクター?
先回の日記でも書きましたが、何回も開胸手術していると胸骨が出てきてしまうんです(涙)
突起物みたいに、ポコンって。
それを押さえて矯正するためのプロテクター。
もちろん出てこない子もいますよ。
このプロテクターは、次の日記で書いているので次回投稿しますね。
後、お薬。
なんとか減らしたいですよね~。
その辺は気長にいきます。
そろそろ臨床心理の予約とらないと!
フォンタン手術
東大病院心臓外科のリンクを貼ってますのでご覧下さい。
1971年にフォンタンとクロイツェルが三尖弁閉鎖症に対する外科治療として行われました。
なので、フォンタンのオペをするようになって46年経っているということですね。
もしこの時期にフォンタンをやって生きていらっしゃる方がいるとしたら50歳前後ではないでしょうか。
ですがこのフォンタンを終えた患者さんがいったいどれ位いらっしゃるのかははっきりと分かりませんが、2014年のデータで先天性心疾患でフォンタンを必要とする患者さんの数は、〝100人~200人に1人〟と言われています。
1990年代では、成人期でのフォンタンも行っていたようですね。
そして、フォンタンは人工血管をつかいます。このかもそうですがゴアテックスの人工血管を使っている病院が多いようですね。
太さは大体12~16mmのもので、このかは13mmの人工血管が入っています。
なんかちょっと専門的になりそうなんで細かい部分はこの辺で。
http://picu.umin.jp/video/operation/fontan.mp4
イラスト動画のリンクを貼ってますのでご覧下さい。
人工血管の位置や血流も見やすくイメージが付きやすいと思います。
上でも書きましたが、フォンタンを終えた成人先天性心疾患の患者さんもご結婚されたり、お子さんを出産されたりしています。
そんな本や、お話やセミナーはすごく勉強になるし、励みになります。
その人口も年々増え続けている。
そういった意味でも最近は成人先天性心疾患の患者さんに対してフォローを行っている団体などがいま力を入れています。
これはまた書けるタイミングがあれば書いていこうと思っています。
近年、外科治療や内科治療は年々進歩しています。
10数年前だったら助からなかった命も今は救えたり、難病で治療方法が無くてもこれからの研究で治療ができるようになったり、新薬ができたりしています。
この先天性心疾患に対してもここ数年で凄い進歩を遂げています。
最近はiPS細胞を使った研究も進んでいて、細胞シートを使って心筋に移植して成功したり、某大学では、ここ10年までに心臓を作るという研究も行っています。
禁断の領域のように感じもしますが、それを使える事で繋がる命がたくさんあるんですよ。
そんな治療が誰でも受けられる世の中に早くなって欲しいと願ってます。
後の日記にも書きますが、拡張型心筋症や小児がんなどの治療は凄まじいです(泣)。
時間との戦いになります。
僕自身、このかが先天性心疾患ということもあり、今までたくさんの親やお子さんに会ってきました。
そこでたくさんのお話も聞きました。
そしてお空にいった話も聞きました。
そんなたくさんの係わり合いの中でこの病気に対しての勉強も続けています。
今では、白血病や骨肉腫などの小児癌や脳神経、臨床心理、それに今は癌について少しづつですが勉強をしています。
それから赤ちゃんや子供を取り巻く環境や症状、虐待に関しても5年前から初めています。
勉強してどうのこうのではないですよ。
少なくとも気持ちが分かる部分もあるし、一番はその親やお子さんの気持ちを分かりたいんです。
もちろん一番頑張っているのは治療を続けているお子さんです。
けどね、その親もすげー頑張っているんです。
誰にも相談できず。
誰も助けてくれず。
吐き出す場所や人もいないです。
それが相談しにくいことでも相談しやすかったり、100%は無理でもほんの少しでも支えあえたり、誰にも言えない事でも吐き出せたりできるだけでも違うんですよ。
少なくとも僕らがそうでしたから。
なんか長~くまた書いちゃいましたけど。
気分悪くされた方がいらっしゃいましたら、すいません。
そういった事でお互いが助け合ったり、支え合ったりする事が大切なことだと僕は思っています。
2013/02/06
フォンタン後、HCUに戻ったこのかですが、ちょっと話を聞いていた通り表情が!?
大好きなアンパンマンのDVDを見せても、無表情。
後は泣くことしかありません。
名前を呼んだり、話しかけたり、微笑んだりしても以前とは全く違って反応が帰ってこないのは親としてショックです 涙。
医療センターには交代で行ってました。
朝から夕方までは奥さんが、夜は僕の仕事が早めに終われば最終の22時までいました。
初めは、自分が固定されていることも知らずに動きたいのに動けない事が嫌で、泣いていることが多かったし、今まではそんなに嫌がらなかった薬も嫌がって。
無理に飲ませると、決まってすぐ後からもどしてしまい泣いていました。
食事も彼女なりに好みがあるらしくご飯と鳥のひき肉は飲み込めないのかあまり好んで食べませんでした。
しかし、野菜や芋類は好んで、パクパクすごいい勢いで食べてましたね!
術後、6日くらいから食事も完食するようになりました。
その頃くらいからクッションに支えられてお座りできる様になってご飯も食べれるようになったけど、まだまだ表情は戻りませんでした。
そんなこんなで、先月の大雪の日。
仕事終わりに医療センターに行ってきました。
なんとか東戸塚からバスに乗ったんですが、バスの運転士さんがアナウンスで〝本日は医療センターに乗り入れしません〟と。
何~っ!!!!!!!!!!!!
聞いてみたら、雪の影響らしく、近くのバス停から歩いて下さい。って。
仕方ないので、近くのバス停から歩きました~っ。
とにかく、雪がすごいのと、あの坂道。
滑って、油断しているともっていかれます。
やっとの思いで病院につきました~っ。
医療センターに通ってから約2年間で初めてだったので、ある意味勉強になりました。
しっかり覚えとかないとですね~っ。
HCUに入って、このかの病室へ。
すると看護師さんが僕のところへ来て、〝日曜日に退院の話が出ていますよ!〟。
僕は、〝何~っ!〟。
次の日に担当医から説明があるので、その時に詳しく話してくれるそうなんですが、奥さんはその日のお昼まで病院にいて、そんな話はしていなく、、、、、、、、。
また、いきなり退院!?
毎回のことですが、いつもこんな感じで突然言われるので、驚きや嬉しいやら心配やらいろんな感情が出てきますね~。
その日はこのかもすでに寝ていたので30分位で早めに病院を出ました。
もちろん帰りも途中のバス停まで歩きです~っ。
やっぱり帰りの方が怖いですね。
あの下り坂、奥さんに退院の話の電話をしながら歩いたせいか、30分位歩いてました。
あの日は、電車の本数も少なかっいたので帰るのも散々でしたけど、今となっては忘れられない日になっています。
次の日、奥さんが退院の説明を受けだんですが、説明をうけるならT医師が良かったらしく、時間が取れるまで待っていると、先にA医師が、〝僕じゃダメかな~っ〟みたいな表情で入ってきたそうです。
奥さんが、〝先生、退院早くないですか~?〟と聞くと。
A医師はつかさず、〝いや~、全然大丈夫でしょ!遅いくらいだよ!〟と満面の笑顔で答え、〝一週間位でも良かったんだけどね~っ〟と太鼓判おされたみたいです。
ちなみにドレーンはその日の朝取れました~っ。
そのあとに、T医師も来てくれて沢山退院のこと聞けたみたいです!
十分な説明と太鼓判。
退院後の不安もあるけどやっぱりじっくり話を聞けると気持ちが落ち着きますね〜。
そんな話を奥さんから聞いて話をしていると、また〝A先生!やっぱりなんかいいことあったんだよ!〟と僕らの妄想も続くわけですよね。
多分、昨年の年末からのA医師の変わり様。
気づいているのは、僕らだけではないはずです(笑)。
退院当日。
その日まで、結局このかの笑顔は病院では見られませんでした。
退院するとき、お世話になった看護師さん、新生児から覚えてくれている看護師さんたちに見送られながらHCUを出ました。
これから新しく覚えていかないといけない事やこれからのこのかのことを沢山話しながら、お家に帰りました。
お家に帰ってこのかに話しかけていると、彼女は少し微笑んでくれました。
〝今笑ったよ!〟と奥さんを呼んだら、僕ら二人のまえでまた彼女は微笑んでくれました。
ノンちゃんお帰り~っ!
以上が当時mixiでの日記です。
ちょっとここでいくつか心臓のオペをする時に使う用語があるので書きますね。
【ドレーン】
術後に心臓の周りや胸の中に溜まった血液や水を体外に排出する為の菅(ドレーン)を留置している為出血や水の量が減ってきたら外していきます。
このドレーンは術後必ず行うもので、医療センターではドレーンが外れた時点で問題が無ければ退院できます。
このかの場合は、11日で退院できました。
担当医曰く、早めの退院もリハビリの1つだそうですよ。
このドレーン、痕が残ります。
【開胸手術】
心臓の手術をする時に行うオぺです。
全ての疾患に行うものではないですが、必要な心疾患に対してはこれを行います。
その心疾患の種類によって、何処をどれ位開くのか?は違ってきます。
一回目のオペで胸骨を切っています。閉じるときに胸骨をワイヤーなどで固定させるのですが、2回目のオペ(再手術)の時には癒着剥離(傷が治る際に周りとくっついてしまう事を癒着といい、それをはがす操作を剥離といいます)という操作が必要なので慎重に行います。
それが2回目、3回目になっても同じ部分を開くので傷跡がそれ以上広がらないようにしています。
心外の担当医もおっしゃっていましたが、この癒着剥離は凄く神経を使うそうです。
これをしっかり行う事で、その後の合併症も防げるとの事。
日記にも書きませたが、そこに菌が繁殖した場合はその菌を取り除き、その菌の繁殖がなくなったのを確認してから閉じるという事。
その日数は読めないらしいです。
この話を聞いた時は凄く胸が痛かったです。
とても他人事と思えないのもあり、涙がでました。
http://www.byouin.metro.tokyo.jp/shouni/section/singeka_shikkan.pdf
上に小児心臓病と心臓手術についてのファイルを貼っているので、ご興味のある方はご覧下さいね。
先月の話ですが、実家の温泉に行った時の話しです。
温泉に入っているとみんな見るんですよ。
のんちゃんの胸の傷跡。
まだ彼女は周りの目線を気にしないで年齢なんで気にしてなかったけど、僕らはその目線がきになりました。
すれ違う人、みんなのんちゃんの胸を見る。
きっと見ている人は小さい子供なのに大きな傷って、何かあったんだろうなぁ?って思っているかもしれませんけど、この子が大きくなった時にそれをコンプレックスに感じる年齢になる。
どこまでできるか分からないけど、そんな時しっかりフォローしていけるようにしていかないといけないなって改めて認識しました。
彼女はいま5歳です。
再来年には小学校に入学します。
決めていた事ですが、彼女が小学校に入ったらこの病気の事をしっかり伝えていこうと思っています。
この病気がどういうものなのか?
どんなことに気をつけないといけないのか?
この先の通院やカテの事。
それからお薬の事。
この病気や傷跡を聞かれたり、見られた時の対応の仕方。
まだまだたくさんありますが彼女に伝えていこうと思っています。
彼女にもこの病気を受け入れて欲しいからです。
受け入れるということは、この病気と共に生きるという事。
大げさに聞こえるかも知れませんが、そう生きて欲しいんですよ。
これは親の勝手な思いなんでしょうけどね。