2013/06/04
大変報告が遅れてしまいました。
つぶやきにコメント頂いてありがとうございました!
昨日は、お休みだったので一日、このかのところへ行ってきました。
ずいぶんと顔色も良くなり、呼吸もサチュレーションも安定。
自分で起き上がることもできて、食欲も戻ってきています。
フォンタン終わって入院は二回目。
初めは、4月の終わり。
その時は、風邪をこじらせて入院。
色んな検査をしながら特に異常は見られなかったので、20日で退院したんですが、その時はあまり食欲もなく、脱水を起こさないように点滴をやっていたので、退院したときは随分と体重も落ちてました。
退院後、おうちに帰ればまた食欲も戻ってくるだろうって思っていたんですが、この時はあまり食べなかったです 涙。
それから、また保育園に登園するようになってすぐにもらったみたいです。
ロタウィルス。
近くの日医大で治療していましたが、なんか抜けても機嫌が悪くて、ある日の朝顔色がすごく悪くて、呼吸する胸の動きも今までとは違ったんです。
すぐ医療センターに電話して、夕方から受診しました。
その日の夕方にお店に奥さんから電話がありそのまま入院。
一度目の退院後、このかは気管支炎を患っていてそれが長く続いたのが一番の原因で、レントゲンを撮ったら両方の胸水がけっこう溜まっていたから心不全を起こしたのだろうと担当のY医師がおっしゃってました。
一週間前の外来では出てなかったのに、かなりのスピードで胸水が溜まっていたのを確認したY医師もビックリしたいたみたいです。
心臓もけっこう大きくなっていたみたいですね。
あ~っ、のんちゃん辛かったんだろうと奥さんと一緒に悔やんでました。
それから、胸水を直接抜くことも言われていたんですが、心臓を強くするお薬を点滴でいれ続けて、昨日の時点で胸水も減ってきたみたいで来週くらいで退院出来るかもしれない位になりました。
嬉しっ!
奥さんとも言っていたんですが、フォンタン終わったからって安心ではないんですよね。
まだまだ気を付けないといけないと事が沢山ある。
これも親の身勝手な考えですね。
深く反省しました。
なにより、このかに苦しい思いやさみしい思いをさせてしまっています。
だから、ぼくは今回の入院でかなり凹みました。
そのことは今でも引きずっています。
早く、のんちゃん帰ってこないかなぁ~っ
そういえば、今月の初めにミッドタウンでやっている〝デザイン あ 展〟にみんなでいってきました。
娘たち二人ともとっても楽しかったみたいできゃっきゃ言ってました。
楽しかったけど、この後3日後入院だったんですよねぇ。
これも反省。
まだまだいろんなことがあると思うけど、もっとのんちゃんのこと考えてあげないとなぁ~っ。
彼女が一番辛いもんね。
親としてまだまだ甘ちゃんです。
以上が当時mixiでの日記です。
内部疾患、気付きづらいんです。
しっかり見ていたとしても、結果入院ってなると親の責任です。
先天性心疾患の場合、それがただの風邪でもこじらすと心不全になります。
それから普通の乳児や幼児はかかりにくいんですが、〝RSウイルス〟もかかると危険です。
この〝RSウイルス〟はまた後日この日記で投稿します。
だって、
のんちゃん、
かかっちゃいましたから(涙)。
シナジスしたのに~。
フォンタンも終わり、ひとだんらくするとやっぱりのんちゃん連れてお出かけしたくなるんですよね。
生まれてから今までほとんど病院でしか過ごしていないから、今まで見たり、触ったり、遊んだりしてなかった分、お出かけしたくなります。
だから、この時期もよくみんなでお出かけしてました。
だけど、注意不足でした。
入院中の時によく担当医とその症状についてたくさん教えてもらいメモしました。
ネットでも出てきますが、全てではなかったり、間違っていたりするんですよ。
だから直接担当医にありとあらゆるケースを聞きました。
それでも、また入院ってあるんです。
その辺が当時は読めないし、気付きにくかったのがあります。
入院すると、お家に帰れないしみんなと一緒ではないのでのんちゃんは寂しいし悲しがります。
一番は、お家にいてみんなと一緒がいいに決まってます。
仕事終わりや休みの日に面会に行くと凄く喜びます!
でも面会時間終わるのが22時なので、別れる時はガン泣きされて担当の看護師さんに任せて帰ります。これが毎日続くと心が痛いので、強引にでも寝かしつけて寝たのを見計らって病室をでるんですけど、これがなかなかうまくいく時と行かない時があります。
寝たな~って、そーっと帰ろうとするとのんちゃんの目がこっちを見ている。
てな事もありました。
もちろんのんちゃんだけでなく、HCUに入院している子供たちもみんな一緒です。
そこらじゅうで鳴き声とあやす言葉が飛び交います。
だから、いつもHCUに行った時は、〝みんな早く元気になってお家に帰れますように。〟ってお願いしてHCUを出ます。
子供たちみんな何かを抱えて入院しています。
子供たちはお家が一番に決まっています。
お父さんやお母さんやご兄弟と一緒にいるのが一番に決まっています。
今はおかげさまでHCUに行く事がありませんが、今も入院している子供たちがたくさんいます。
〝みんな早く良くなってお家に帰れますように〟。
2013/04/13
保育園決まりました~っ!
今の保育園に通える様になるまでいろいろありました 涙。
予想以上に厳しいし、僕らの認識も甘かったです。
その度に悔しい思いをしました。
改めて周りの、それから保育園の心疾患を持つこどもの認識というものがどんなものか思い知らされた感じです。
ほとんどの保育園は、じっくりと話すら聞いてもらえない状況だし、区の支援課の方も話にならないから直接神奈川県に問い合わせしたり、〝噛み付いたり〟してみたんですが、納得のいく回答は最後までもらえませんでした。
そんな時に、前に長女が通っていた保育園にイチかバチか駆け込んだら、園長先生は僕らのことを覚えててくれたみたいで沢山話を聞いてくれました。
その時に、〝なんでもっと早くきてくれなかったの!知らない仲ではないでしょ。〟と言っていただけました。
このかのことは知っていたみたいで、これまでの話を園長先生にしたら〝すべてが甘い、もっと早く動かないと決まるものも決まらないよ。それから、これからは自分たちだけでなんとかしようと思わないで、もっと周りに頼ったり、味方を作らないといけないね。今以上にこのかちゃんの事をわかってくれる人達を作らないと守るものも守れないから。(以下省略)〟と言ってもらえたそうです。
本当に感謝です!
そんな話を奥さんに聞かされて、二人で今までのこと、これからのことを沢山話しました。
全ては、このかの為に一番を。
4月1日から登園しました!
予想通り、いっぱいいっぱい彼女は泣いていました。
それでも、4日過ぎ位には少しなれたみたいで外で遊ぶのが楽しかったり、ご飯をモリモリ食べたり、大好きな車のおもちゃをおして歩いていたりしているみたいで、たまに思い出したかのように泣いている時間もあるそうです。
でもまだまだ、登園するときはさみしいのか号泣しています。
これから彼女も沢山のお友達や先生方に触れ合う事で、どんどん培っていくものがあると思います。
今までは、病院とお家しかいなかったから。
そこから学んでいくもの、もらうもの、いいことも良くないこともすべて彼女にとっては初めてなんだろうなぁ~。
少しづつでもいいから力強く育ってほしい。
そんなことを奥さんと話しています。
そんな感じのこのかですが、今は医療センターにいます 涙。
今のところ状況を見ながらの治療をしていますが、どうやらウィルスなのかは解らないのですが、体のどこかが炎症を起こしているらしいんです。
それが、肺なのか?気管支なのか?胸の傷なのか?
まだ様子見です。
症状も軽く、早く退院できるといいんですけどね。
またその後の経過がわかりましたらお知らせします。
以上が当時のmixiでの日記です。
今週のニュースでも保育園入れなくてこの先の不安が沢山書かれていましたよね。
全国の待機児童は約9万人。
国もそうですが各自治体が動いていると思うんだけど追いついてないですよね。
幼稚園ですら入れない所もある位です。
そこには様々な問題があります。
詳しく書ききれないですが、僕らの事を少し書きますね。
長女は保育園に通っています。二人目なら同じ保育園に入りやすいって聞きました。
でも結果はダメでした。
そこから探すとなると無認可しかありません。
それから数十件電話をかけてお話を聞いたりこのかの事を話しました。
そのすべての無認可保育園は、入れる枠があり後日電話での返答でしたがすべて断られました。
無認可の場合、決めるのは区ではなく保育園なんですよ。
〝何で?〟と、理由を聞いても言ってくれなかったり、直で心臓病が!と言われた保育園もあります。
もちろん、心臓病に関する資料やこのかの病状、薬、食べれない食材やケガをした時の対処など全てそろえて、持って行ったんですが撃沈(涙)。
そんな事もあり、奥さんは他の無認可を探しながら僕は区役所いって噛み付いてました!
区役所には、児童支援科があります。
そこで、たくさん話しました。
でも区役所は、〝そこは保育園が決める事ですから〟とか納得のいかない事言われたり。
中には、〝こちらでも問い合わせて聞いてご連絡差し上げますね。〟って職員さんも。
やっぱりそこも人ですね!
担当してくれる方が少しでも動いてくれるのか、聞くだけで動いてくれないのか、別れます。
それから日記にも書いてましたが、長女を前に預けていた無認可保育園にのんちゃんを預けることができました。
知っている方も多いと思いますが、無認可だと月17万~20万位かかります。
もちろん延長や休日保育入れるとそれ以上です。
僕らにとってその保育園に入れるだけでもすごくありがたいことでした。
そこで半年間のんちゃんは過ごして今の認可保育園、長女と同じ保育園に入園することができました。
もちろんのんちゃんが入園する前の園長先生とこのかの病気の事、それから心臓病に関しての資料を持っていきました。
今の保育園に入園する前に区が決めている病院で健康診断を受けないといけなかったので、その病院に受診して診断書を書いてもらい保育園に持っていきました。
それからは、通院の事やカテで休む事、緊急で入院した時の連絡など先に伝えて、また何かあればそのつど伝えるようにしています。
前の日記にも書いてましたが、横浜に〝こぐま園〟がありますけど、遠くてとても毎日通えません。
これは今でもそうですが、欧米諸国みたいに〝内部疾患専門の保育園〟増えるといいなぁって思ってます。
ですがそれも保育園の事調べると難しいみたいですね~。
なかなか看護師が常勤することはないし、今の保育園でも看護師さんがいる保育園なんかほとんどない。
それを実現させるためには、整備も必要だし法改正も必要でしょ?
まずは管理体制を一本化して欲しいですよね。
文部科学省→幼稚園。
厚生省→保育園。
しってましたか?
詳しく書くと長~くなるんでこの辺にしときます。
僕らもそうでしたけど、親ががんばりすぎちゃうんです。
だって頼る場所がない。
地元に住んでいたり、両親と同居はしていませんから僕らでなんとかしないといけないって思ってしまう。
だからぶっちゃけ自分の親や兄弟にも話はしません。
そうすると精神がすこしづつおかしくなっていきます。
なぜならすべてがうまくいかないからです。
がんばってもがんばってもうまくいかない。
そんな時に誰かがきっと手を差し伸べてくれたり、その方法を教えてくれたりしてくれます。
それが当時の園長先生。
〝この子の為に〟と思ってやっていたり、動いていたりしていた事が違っていたりします。
それを僕らに教えてくれて気づかせてくれたのもその園長先生でした。
僕らは自分で選んで実家には戻らづここに住んで働いています。
自分達が選んだ環境ですから、今でも自分たちでという気持ちはありますけど、当時より今はこうして両親や兄弟、それから友達にも話せるようになりました。
やっぱり子供って凄いですね~。
色んなことを教えてくれるし気付かせてくれる。
今でもそうですけど、出会いにも感謝です。
2013/03/06
先週発注していたプロテクターがおうちに届きました~。
箱を開けてみたら、メッセージとプロテクターと一緒に同じ色のピンクのくまさん!
ちょっとビックリしました。
今週の心外の外来でプロテクターを初装着。
あれから3日経ちますが、このかは嫌がらないで着ています。
プロテクターを僕はまだ一度もこのかに着せたことがまだないので、今度奥さんに教えてもらおうと思っています。
前回までの外来で、今のところ順調なので心外の外来は次まで。
それからは循環器に移ります。
それから、次回からプロテクター外来も始まります。
後は、ワーファリン、アスピリンの量が少し減りました。
最近のこのかは、ちょっとアレルギーなのか鼻水が、サァーーーーーーっと流れてます。
奥さん曰く、〝花粉症!?〟
奥さんも僕も花粉症なんで、ひょっとしたら~って思ってます。
長女は、まだ診断されてないですが、決定確実ですね~っ。
そんなこんなで今我が家は、くしゃみ、鼻水サァーーーーーーーーーーーー。
と流れる毎日。
早く終わらないかな、この季節。
それから落ち着いたら書きますが、このかの保育園。
思ったより大変ですね。
僕らの準備や認識が甘かったです。
頑張ります!
以上が当時mixiでの日記です。
ぬいぐるみも一緒に届くなんてビックリしました!
しかも足の裏には、誕生日月が縫いこまれていて、今でものんちゃんと一緒に寝ています。
総合母子健康医療センターのリンクを貼っていますのでご覧下さい。
写真も載っているので解りやすいですよ。
のんちゃんプロテクターするとこんな感じで~す!
夜中の水分補給の時のもの。
この頃ののんちゃんはのどが渇くと、〝おたぁ~っ!(お茶)〟と叫んでました(笑)
2013/02/19
フォンタン後、退院して約1ヶ月になりました。
昨日の外来では特に問題はなく、毎週の外来はつづいてます。
最近のこのかといえば、元気にはしゃいでいます!
相変わらず、アンパンマンとバイキンマンのブロックが大好きみたいで、調子のいい時は口にかぶりついています(笑)
髪の毛も伸びてきて、そろそろ前髪切らないとやばい。
前々回の外来でプロテクターの相談をして早速注文をしました~。
色は黄緑が欲しかったんですが、色味がなんかちょっと~だったので、ピンクにしました。
未だ届かずですが、、、、。
それから、退院後にまた色々と調べたいこともあり、本やらWebやらでお勉強を始めたりしています。
改めて知るものもあり、〝へ~、そうだったんだ!〟というのもあります。
恥ずかしいですが、今更ながらに〝アスピリン〟と〝ワーファリン〟の違いなんかも知りましたけど。
ワーファリンも病院によって使い方が違うんですね~っ。
T医師曰く、〝ワーファリンはすぐ服用を辞めるところもあればある程度の年齢まで服用するところもあるし、場合によってはずーっとも、、、、、(以下省略)。〟
なんてことを言われるとまたいろいろ突っ込んで聴きたくなりますよね~。
たくさんありすぎてかけませんが、いっぱい聞いちゃいました。
後は、成人先天性心疾患の治療に関する事を少しづつですが頭にいれていってます。
まだまだ先のことなんでしょうけど、なんか色々と見えてくるところもありますね。
ちょっと気持ちが複雑になってしまう事柄も多いですが、これも今の現実なんでしょうね。だけどこれから先のことは解らない、前向きに今の彼女の事を考えてあげようと。
元気に、〝ぐぁ~っ、ぐぁ~っ!〟言っているこのかを見ていると感じますね。
なんか近況報告みたいになりましたが、来週は僕の母が上京してきます!
これでまた我が家は一週間賑やかになりまーす。
以上が当時mixiでの日記です。
術後退院したら毎週の外来が続きます。
毎週、東戸塚→医療センター行っていると東戸塚にも詳しくなって遊んだり、ついでに買い物したり、ご飯食べたりとしてました。
もちろんバスを途中下車して遅めのお昼食べたり。
それから外来後にそのまま電車に乗って鎌倉にも行ってました。
東戸塚から鎌倉はすこい近い!
家族みんな鎌倉好きなのでそれも楽しいプチ旅です。
それから、〝プロテクター〟。
なんで心疾患でプロテクター?
先回の日記でも書きましたが、何回も開胸手術していると胸骨が出てきてしまうんです(涙)
突起物みたいに、ポコンって。
それを押さえて矯正するためのプロテクター。
もちろん出てこない子もいますよ。
このプロテクターは、次の日記で書いているので次回投稿しますね。
後、お薬。
なんとか減らしたいですよね~。
その辺は気長にいきます。
そろそろ臨床心理の予約とらないと!
フォンタン手術
東大病院心臓外科のリンクを貼ってますのでご覧下さい。
1971年にフォンタンとクロイツェルが三尖弁閉鎖症に対する外科治療として行われました。
なので、フォンタンのオペをするようになって46年経っているということですね。
もしこの時期にフォンタンをやって生きていらっしゃる方がいるとしたら50歳前後ではないでしょうか。
ですがこのフォンタンを終えた患者さんがいったいどれ位いらっしゃるのかははっきりと分かりませんが、2014年のデータで先天性心疾患でフォンタンを必要とする患者さんの数は、〝100人~200人に1人〟と言われています。
1990年代では、成人期でのフォンタンも行っていたようですね。
そして、フォンタンは人工血管をつかいます。このかもそうですがゴアテックスの人工血管を使っている病院が多いようですね。
太さは大体12~16mmのもので、このかは13mmの人工血管が入っています。
なんかちょっと専門的になりそうなんで細かい部分はこの辺で。
http://picu.umin.jp/video/operation/fontan.mp4
イラスト動画のリンクを貼ってますのでご覧下さい。
人工血管の位置や血流も見やすくイメージが付きやすいと思います。
上でも書きましたが、フォンタンを終えた成人先天性心疾患の患者さんもご結婚されたり、お子さんを出産されたりしています。
そんな本や、お話やセミナーはすごく勉強になるし、励みになります。
その人口も年々増え続けている。
そういった意味でも最近は成人先天性心疾患の患者さんに対してフォローを行っている団体などがいま力を入れています。
これはまた書けるタイミングがあれば書いていこうと思っています。
近年、外科治療や内科治療は年々進歩しています。
10数年前だったら助からなかった命も今は救えたり、難病で治療方法が無くてもこれからの研究で治療ができるようになったり、新薬ができたりしています。
この先天性心疾患に対してもここ数年で凄い進歩を遂げています。
最近はiPS細胞を使った研究も進んでいて、細胞シートを使って心筋に移植して成功したり、某大学では、ここ10年までに心臓を作るという研究も行っています。
禁断の領域のように感じもしますが、それを使える事で繋がる命がたくさんあるんですよ。
そんな治療が誰でも受けられる世の中に早くなって欲しいと願ってます。
後の日記にも書きますが、拡張型心筋症や小児がんなどの治療は凄まじいです(泣)。
時間との戦いになります。
僕自身、このかが先天性心疾患ということもあり、今までたくさんの親やお子さんに会ってきました。
そこでたくさんのお話も聞きました。
そしてお空にいった話も聞きました。
そんなたくさんの係わり合いの中でこの病気に対しての勉強も続けています。
今では、白血病や骨肉腫などの小児癌や脳神経、臨床心理、それに今は癌について少しづつですが勉強をしています。
それから赤ちゃんや子供を取り巻く環境や症状、虐待に関しても5年前から初めています。
勉強してどうのこうのではないですよ。
少なくとも気持ちが分かる部分もあるし、一番はその親やお子さんの気持ちを分かりたいんです。
もちろん一番頑張っているのは治療を続けているお子さんです。
けどね、その親もすげー頑張っているんです。
誰にも相談できず。
誰も助けてくれず。
吐き出す場所や人もいないです。
それが相談しにくいことでも相談しやすかったり、100%は無理でもほんの少しでも支えあえたり、誰にも言えない事でも吐き出せたりできるだけでも違うんですよ。
少なくとも僕らがそうでしたから。
なんか長~くまた書いちゃいましたけど。
気分悪くされた方がいらっしゃいましたら、すいません。
そういった事でお互いが助け合ったり、支え合ったりする事が大切なことだと僕は思っています。
2013/02/06
フォンタン後、HCUに戻ったこのかですが、ちょっと話を聞いていた通り表情が!?
大好きなアンパンマンのDVDを見せても、無表情。
後は泣くことしかありません。
名前を呼んだり、話しかけたり、微笑んだりしても以前とは全く違って反応が帰ってこないのは親としてショックです 涙。
医療センターには交代で行ってました。
朝から夕方までは奥さんが、夜は僕の仕事が早めに終われば最終の22時までいました。
初めは、自分が固定されていることも知らずに動きたいのに動けない事が嫌で、泣いていることが多かったし、今まではそんなに嫌がらなかった薬も嫌がって。
無理に飲ませると、決まってすぐ後からもどしてしまい泣いていました。
食事も彼女なりに好みがあるらしくご飯と鳥のひき肉は飲み込めないのかあまり好んで食べませんでした。
しかし、野菜や芋類は好んで、パクパクすごいい勢いで食べてましたね!
術後、6日くらいから食事も完食するようになりました。
その頃くらいからクッションに支えられてお座りできる様になってご飯も食べれるようになったけど、まだまだ表情は戻りませんでした。
そんなこんなで、先月の大雪の日。
仕事終わりに医療センターに行ってきました。
なんとか東戸塚からバスに乗ったんですが、バスの運転士さんがアナウンスで〝本日は医療センターに乗り入れしません〟と。
何~っ!!!!!!!!!!!!
聞いてみたら、雪の影響らしく、近くのバス停から歩いて下さい。って。
仕方ないので、近くのバス停から歩きました~っ。
とにかく、雪がすごいのと、あの坂道。
滑って、油断しているともっていかれます。
やっとの思いで病院につきました~っ。
医療センターに通ってから約2年間で初めてだったので、ある意味勉強になりました。
しっかり覚えとかないとですね~っ。
HCUに入って、このかの病室へ。
すると看護師さんが僕のところへ来て、〝日曜日に退院の話が出ていますよ!〟。
僕は、〝何~っ!〟。
次の日に担当医から説明があるので、その時に詳しく話してくれるそうなんですが、奥さんはその日のお昼まで病院にいて、そんな話はしていなく、、、、、、、、。
また、いきなり退院!?
毎回のことですが、いつもこんな感じで突然言われるので、驚きや嬉しいやら心配やらいろんな感情が出てきますね~。
その日はこのかもすでに寝ていたので30分位で早めに病院を出ました。
もちろん帰りも途中のバス停まで歩きです~っ。
やっぱり帰りの方が怖いですね。
あの下り坂、奥さんに退院の話の電話をしながら歩いたせいか、30分位歩いてました。
あの日は、電車の本数も少なかっいたので帰るのも散々でしたけど、今となっては忘れられない日になっています。
次の日、奥さんが退院の説明を受けだんですが、説明をうけるならT医師が良かったらしく、時間が取れるまで待っていると、先にA医師が、〝僕じゃダメかな~っ〟みたいな表情で入ってきたそうです。
奥さんが、〝先生、退院早くないですか~?〟と聞くと。
A医師はつかさず、〝いや~、全然大丈夫でしょ!遅いくらいだよ!〟と満面の笑顔で答え、〝一週間位でも良かったんだけどね~っ〟と太鼓判おされたみたいです。
ちなみにドレーンはその日の朝取れました~っ。
そのあとに、T医師も来てくれて沢山退院のこと聞けたみたいです!
十分な説明と太鼓判。
退院後の不安もあるけどやっぱりじっくり話を聞けると気持ちが落ち着きますね〜。
そんな話を奥さんから聞いて話をしていると、また〝A先生!やっぱりなんかいいことあったんだよ!〟と僕らの妄想も続くわけですよね。
多分、昨年の年末からのA医師の変わり様。
気づいているのは、僕らだけではないはずです(笑)。
退院当日。
その日まで、結局このかの笑顔は病院では見られませんでした。
退院するとき、お世話になった看護師さん、新生児から覚えてくれている看護師さんたちに見送られながらHCUを出ました。
これから新しく覚えていかないといけない事やこれからのこのかのことを沢山話しながら、お家に帰りました。
お家に帰ってこのかに話しかけていると、彼女は少し微笑んでくれました。
〝今笑ったよ!〟と奥さんを呼んだら、僕ら二人のまえでまた彼女は微笑んでくれました。
ノンちゃんお帰り~っ!
以上が当時mixiでの日記です。
ちょっとここでいくつか心臓のオペをする時に使う用語があるので書きますね。
【ドレーン】
術後に心臓の周りや胸の中に溜まった血液や水を体外に排出する為の菅(ドレーン)を留置している為出血や水の量が減ってきたら外していきます。
このドレーンは術後必ず行うもので、医療センターではドレーンが外れた時点で問題が無ければ退院できます。
このかの場合は、11日で退院できました。
担当医曰く、早めの退院もリハビリの1つだそうですよ。
このドレーン、痕が残ります。
【開胸手術】
心臓の手術をする時に行うオぺです。
全ての疾患に行うものではないですが、必要な心疾患に対してはこれを行います。
その心疾患の種類によって、何処をどれ位開くのか?は違ってきます。
一回目のオペで胸骨を切っています。閉じるときに胸骨をワイヤーなどで固定させるのですが、2回目のオペ(再手術)の時には癒着剥離(傷が治る際に周りとくっついてしまう事を癒着といい、それをはがす操作を剥離といいます)という操作が必要なので慎重に行います。
それが2回目、3回目になっても同じ部分を開くので傷跡がそれ以上広がらないようにしています。
心外の担当医もおっしゃっていましたが、この癒着剥離は凄く神経を使うそうです。
これをしっかり行う事で、その後の合併症も防げるとの事。
日記にも書きませたが、そこに菌が繁殖した場合はその菌を取り除き、その菌の繁殖がなくなったのを確認してから閉じるという事。
その日数は読めないらしいです。
この話を聞いた時は凄く胸が痛かったです。
とても他人事と思えないのもあり、涙がでました。
http://www.byouin.metro.tokyo.jp/shouni/section/singeka_shikkan.pdf
上に小児心臓病と心臓手術についてのファイルを貼っているので、ご興味のある方はご覧下さいね。
先月の話ですが、実家の温泉に行った時の話しです。
温泉に入っているとみんな見るんですよ。
のんちゃんの胸の傷跡。
まだ彼女は周りの目線を気にしないで年齢なんで気にしてなかったけど、僕らはその目線がきになりました。
すれ違う人、みんなのんちゃんの胸を見る。
きっと見ている人は小さい子供なのに大きな傷って、何かあったんだろうなぁ?って思っているかもしれませんけど、この子が大きくなった時にそれをコンプレックスに感じる年齢になる。
どこまでできるか分からないけど、そんな時しっかりフォローしていけるようにしていかないといけないなって改めて認識しました。
彼女はいま5歳です。
再来年には小学校に入学します。
決めていた事ですが、彼女が小学校に入ったらこの病気の事をしっかり伝えていこうと思っています。
この病気がどういうものなのか?
どんなことに気をつけないといけないのか?
この先の通院やカテの事。
それからお薬の事。
この病気や傷跡を聞かれたり、見られた時の対応の仕方。
まだまだたくさんありますが彼女に伝えていこうと思っています。
彼女にもこの病気を受け入れて欲しいからです。
受け入れるということは、この病気と共に生きるという事。
大げさに聞こえるかも知れませんが、そう生きて欲しいんですよ。
これは親の勝手な思いなんでしょうけどね。
2013/02/01
久しぶりに日記を書きます。
昨年の6月からいろんなことがあり、気づけば半年ぶりです。
昨年の11月にカテをやり、年明けにフォンタンをやることになったのですが、肺血圧がやや高め。
どうやら三心房心の手術を行った時の隔壁がまだ血流の邪魔をしている可能性が高いそうで、フォンタンやるときに一度開けて見ないと解らないと言われました。
問題なければそのまま閉じるそうですが、何回聴いてもこのような説明を聞かされるのはやっぱり不安になりますね。
次の心外の外来でフォンタンを1月10日にやることが決まりました。
その外来のときに僕らは、A氏の話を聞いているんですが、このかはA氏の机をカリカリかじってました。
それを見たA氏は、〝机、美味しいね!〟って笑顔で行ったんです!
今までそんな笑顔でだなんてなかったのに、僕らは外来が終わった後に、〝A先生、なんか変わったよね~っ!いいことでもあったのかなぁ。〟と今までとは違う対応にニヤニヤしながらそんな話を帰るまでずーっとしてました。
年が明け、9日に入院。
ハイケアに入ろうとした瞬間、このかは突然泣きわめきました。
やっぱり一歳過ぎると自分が何をされるのか解るというか感じるんですね。
手術についての説明はやはり房心の隔壁を確認したいから一度開けるとのことでした。
それから、〝フェネストレーション〟の説明も受けました。
これは、僕らは知りませんでした。
後は、その後の合併症についての説明を沢山聞きました。
お友達でフォンタン後感染症にかかり再度開いて処置をしてその後一週間は閉じないで開いた状態が続き、菌がなくなったのを確認後閉じたお子さんがいたのでそのことも詳しく聞きました。
こういうことはしっかり聞いておかないと落ち着かないので。
それからその日一日、ずーーーーーーーっと泣きっぱなしでした。
長女の保育園のお迎えがあるので、僕は途中で抜け出しお迎えに、一緒に医療センターに着いた時はもう7時になってました。
このかはようやく8時過ぎに寝てくれたので、僕、奥さん、長女の3人はお家に帰宅。
当日、医療センターに着き、ハイケアに入るとベビーカーに乗っていて泣き疲れたのかグッタリ。
僕らを見つけると安心したのか彼女は泣いてしまった~っ。
それから手術の時間まで抱っこしてました。
予定が早まり、このかを抱っこしたまま手術室の前まで。
看護師さんに彼女を渡すと、抱っこされたままずーっと僕らの方を見ながら手術室の扉が閉まるまで泣いていました。
もちろん扉がしまっても鳴き声は聞こえるわけです。
なんか、痛いですよね。
胸が締めつけらる感じ、奥さんを見ると彼女は泣いていました。
バンティングやグレンの時とは全然違いますね。
それだけこのかが成長したってことでしょうか。
とっても複雑な気持ちだったのを覚えています。
AM11:30に手術室に入室。
30分経っても落ち着かないので、僕は、僕と奥さんの両親に電話しに。
待合に戻ってくると、まだ時計が5分しか進んでない 涙。
なんでこんな時は、時間が過ぎるのが遅いんですかね~。
待っている空いだは、ウロウロしたり、心疾患の本やプリントを読んだりしていました。
夕方4時頃になると僕はまた長女を迎えに保育園へいかないといけないので、ピッチを奥さんに渡して病院を出ました。
〝なんかあったら連絡して!〟
それだけ伝えて。
長女をお迎えに行き、最寄りの駅に着いたのが4:40。
まだ連絡がない。
長女と一緒に電車に乗り、メール。
東戸塚に着いた時はもう5:30をまわってました。
それからタクシーで病院で向かう途中で無事に終わったと連絡がありました。
タクシーを降りて急いで待合へ。
奥さんに話を聞くと、一度開けてみたけど隔壁に問題はなかったからすぐ閉じて、フェネストレーションもやらなで無事にフォンタンは成功。
少ししたらICUに入れるので、とりあえず長女にお弁当の夕食を食べさせていると看護師さんが呼びにきたので、奥さんから面会。
戻ってくると、ちょうどA医師がいたらしく、術中、術後のことを直接聞けたみたいで、奥さんはニコニコしながらいっぱい教えてくれました。
次は僕の番!
いつもの様にICUへ入り、このかのベッドへ~っ。
このかを見て驚いたのは、すでに呼吸器が外れていること。
後、このかの顔色、唇の色がいい、腕や足など触ってみると、あったかーぃ。
サチュレーション見ると、98でした!
フォンタンって、すごいですね。
一気にテンションマックスでした。
続きはまた近々日記に書きたいと思っています。
途中、つぶやきでの報告になっていましたが、皆さん本当に気にしていだだいて嬉しかったです!
このかも頑張ってくれました。
本当にいつも色んなことでみなさんが僕らの支えになっています。
そして感謝してます。
これからもどうぞよろしくお願いいたします!
以上が当時mixiでの日記です。
この年の6月に父親や他界して8月過ぎるまでは月1回ペースで実家に帰ってました。
もちろん一人で福岡へ帰省していたんですが、8月は初盆だったのでノンちゃんも一緒に家族みんなで帰省しました。
地元はお盆に花火大会と精霊流しがあるんですよ!
初盆なんで小さな親父の船を作って、それを親父の船に乗せて沖合いまで運びます。
沖合いまで運んだらそこで船を流すのですが、それまでは船の上でみんなで花火を盛大に行います。
この精霊流しは昔からこんな感じですよ~。
その時に船を出してくれたのが、親父の幼馴染のおじさんです。
頼んだら快く引き受けてくれました!
本当に感謝です。
流し終わったら頃にちょうど花火が上がります。
見たことある方もいると思いますが、沖合いから見る花火は格別にきれいですよね~。
夏ですが、海の上なので風が気持ちいい!
それから、フォンタン前には心カテがあります。
心カテは3日間。
1日目は検査です。
必要に応じてMRIやCTも撮ります。
だから1日がかりになります。この日は病院に泊まってもいいのですが、のんちゃん一時帰宅。
次の日の早朝から病院へ行き、カテ入れます。
グレンまでは、泊まっていたんですが、カテの順番が遅くなるので一時帰宅しても十分間に合うんです。
他の病院は知りませんが、医療センターでの心カテの順番は赤ちゃんが順番的に早いんです。なので、この時のノンちゃんは13時頃。
といってもだいたい押してしまうので、14時くらいになります。
心カテ当日は、病院での宿泊になります。
翌日、体に異常が見られなければそのまま退院。
早ければ13時ごろ退院できます。
もちろんお昼ご飯も食べれますよ。
手術の場合は、前日から入院します。
この時の検査もハンパないです。
それからオペ当日、僕らがHCUに入りオペまで待機します。
カテと同じで、前のオペが押していたら時間も変ります。その時はすごーく時間経つのが長いんですよ。
オペ後は、その後の日記に書いているので後日またこの日記に投稿しますね。
上の日記に書きましたけど、〝フェネストレーション〟があります。
通称〝穴あきフォンタン〟とも言います。
成育医療研究センターのリンクを貼っているので興味があればご覧下さい。
ノンちゃんは、肺の圧が高いのですが〝穴あきフォンタン〟しなくてすみました。
これもその子の検査結果や症状で変ってくると思います。
全てはチームの判断です。
前にも書きましたが、先天性心疾患の患者さんに対してチームで動く事が多いです。
心外だけでは動かないし決めていない。
オペやカテの前に循環、小児科、心外、麻酔科、ICU、 HCUや脳神経外科など様々な科が集まってカンファレンスを行い、その子にとっての一番を決める。
緊急時などは違うと思いますけどね。
本当にこのときは無事に済んで良かったです!
このフォンタンを僕らは目指してきましたから。
それが無事に終わった。
本当に嬉しかったんですよね。
これで〝根治〟しました。
でも
安心したのも
束の間
後の日記にも書いてますが、いろんな事起こります(涙)
フォンタン終われば、これで!って思っていた僕らが甘かったです。
それも後日投稿します。